茂沢城(笹谷城・伊勢山城)
茂沢城(笹谷城・伊勢山城)([上田城 周辺城郭])
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茂沢城(笹谷城・伊勢山城)の口コミ情報
2024年12月27日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、おいらは夏場の宿題を冬場に課す事が多い。宿題とは、藪城と知りながら勢い余って突入してしまい、結果として個人的納得を得られなかったお城の再訪だ。「先生、こんなの今やれって言われてもとてもじゃないけど出来ません…」てな感ぢ?の山城等を対象としている。適度な整備が望めない以上、こちらから少しでも歩み寄ろうとする奥ゆかしいスタンスだ。そう、求めるんじゃない、近付こうぜ。
北信だと冬場でも藪度が変わらんお城が殆どだけど、中信や東信では成果が十分に得られる事が多い。下草は綺麗に消えるし、お山の木々が全て葉落ちするなんて所もある。夏場と冬場ではリア攻め自体に雲泥の差があるのだ。
今回紹介するお城の初訪問は2年前…い、いや、3年前だったかな…日差しの強い夏の日に目の前を通ったんで訪ねてみたけど、城域に入ったらやる気が一瞬で失せてしまった。特に写真撮影の結果が悲惨、カメラからダウンロードしたけど秒で全部削除してしまった。
茂沢城(笹谷城・伊勢山城)は上田城の南東約5.9km、依田川西岸(左岸)、丘陵台地上、標高約562mの小丘陵頂部を中心に立地する要害です。東麓の長野県道168号、上田塩川線からの比高は30m位でしょか。別称から小丘は伊勢山と呼ばれている筈だが地図等には記載が無い。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車は城域外西側の空地に1台なら捨てられる。
築城年代、築城者は不明です。該地の茂沢は依田庄内飯沼郷に含まれていた事から依田氏に関係する城館だと推測されている。が、個人的には海野氏に従う西方、尾野山を本貫地とする尾野山氏が東方へ向けて築いた要害だと考えている。旧尾野山村の現住所は上田市丸子町大字生田であるが、かつての尾野山村には、梨平、茂沢等が枝郷として含まれていた。地形模型図上で見れば茂沢は尾野山への関門の地に当たる。
お城は大手筋に多段の段郭、主郭からの南側斜面にも帯郭状の腰郭を多段に連ねるコンパクトながらも重厚な縄張、斜度を失う上段に上がる程エッジは失いがちだが、それでも郭の形状は十分把握出来る。一見すればややファジーな印象を受けるかもしれないが、縄張や普請云々よりもやはり後世に耕作地としての改変がある事が大きいんだろう。そしてこのお城のハイライトは主郭西側山側背後に残る三重堀切、たぶん信濃では最も簡単に拝める三重堀切だ。茂沢城を宿題とした理由も概ねはこれにある。が、この辺りは冬場でも鑑賞に耐えない…元々が埋まり気味である事に加えて藪自体も消えてはいない。残念だがこれが限界、諦めが付いた。三重堀切の先に未確認だった土塁を見れた事がせめてもの救い…
縄張図や俯瞰図を見ると凄く立派なお城なんだけど、その現況は大変難しいものとなっている。贅沢を言わずに集落の裏山がお城の形状を保ったまま残されている事に満足するべきなんだろう。
今回の訪問では納得するリア攻めが出来た…と思う。頭の中のもやもやが晴れた感じで爽快感すら覚えた。当人がリア攻めに満足するか否かを現況(成果)と縄張図に求めてはいけない。出来る事を最大限に努力すれば必ず納得は得られる筈…おいらはこの点において実に良い方向(変態)で成長しているんだと思う。楽しみは尽きないぜ。
※地権者が近くにお住まいかと思われる。参考までに…
※城域内にはちくちくとげとげした草木が群生している。油断してると痛いよ。
※写真撮り忘れたけど、上段に位置する信州国際音楽村付近から近景を眺めるとよい。
※車は城域外西側の空地に1台なら捨てられる〜但し、何か言われた訳ではないが問題があると思う。
※写真⑥、⑦は三重堀切の1条を撮影したものだけど…こり以上は無理っすわ。