宮川神社近くの堀の内
宮川神社近くの堀の内([上田城 周辺城郭])
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※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
宮川神社近くの堀の内の口コミ情報
2024年07月15日 ほりーないと
「宮川神社について語ってみたけど、前述した内容を知ったのは後日になってから。当日は目の前を見事に通り過ぎている。」と城友様の口コミを読んだ後、上田城とその周辺を以前訪ねた時の写真データを探しました。宮川神社の「武田信玄神願の綱」の写真を見つけましたので投稿させていただきます。
生島足島神社から上田城へ移動中「近くに宮川神社があるから寄って欲しい」と同行の友人(城友)からのリクエストにより訪ねました。「武田信玄神願の綱」は武者を型取った十二本の御幣を立てた注連縄です。初めて見ました。
城友様の口コミを読んで「堀の内」を通り過ぎていたと知りました。「宮川神社の周辺はあまり運転したくない感じの道だった。それが堀の内ってことかな」と堀の内を友人と熱く?語りました。
2024年07月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、今回は、おいらが最も苦手とする住宅地の「堀の内」の口コミっす。塩を撒かれても絶対に止めないwそして倍の量を撒き返すw人がやらない事をやる。今後も誰も見向きもしない物件にスポットを当てていく。
宮川神社近くの堀の内は上田城の南西約1.4km、千曲川南岸(左岸)、標高約439mの平野部平場に立地した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されている北方の「宮川神社」を目標に設定して下さい。名称のとおり、この神社から南方へ約0.1km歩けば該地となる。車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。
築かれた年代、お住まいになられていた方は不明です。「信濃の山城と館3、上田・小県編」に掲載がある。現在は字地名としては残っていないのだが、地名は、寛永二十年(西暦1643年)の「御所村田畑ならし帳」…に基づいているんだそう。信濃のお城の神もこの物件には情熱を持てなかったらしく、…この館主や館歴については、「千曲第58号」を参照されたい。…てな感じ…それならばと同書を上田市立図書館で検索しよかなと思ったんだけど、意識が遠のきそうになったんで止めてしまった。
該地の上田市中之条については、同じ上田城のリア攻めマップにある緑川の堀の内を参照して下さい。
宮川神社は元は八幡神社だったらしく、上田城南地域協議会が作成した「城南地域の自然的・歴史的資源のまとめ」には、天文二十一年(西暦1552年)、「上田原の戦い」の際、武田勢が必勝の神願を執り行い、戦いの後に永銭三十貫文を奉納したとある。毎年正月十五日には、「武田信玄神願の綱」と称する注連縄を張って飾り付けをしているんだそう。ちなみに注連縄の上に立てられた武者を型取った十二本の御幣は、武田氏の古例に倣ったものだそうで、こうした御幣を立てた注連縄は県下では他に例を見ないらしい。
居館の現況は…耕作地、一般住宅地等となっている。決して居館地を南北に流れる水路なんかに堀形を求めてはいけない。遺構は完全消滅、改変著しく旧態は見ない。他には…いや、もはや道路脇から覗き込むのが精一杯のリア攻めなんでこり以上は勘弁してくれ。ちなみに居館地北辺の廃屋は住宅地なのに激藪、水道メーターさえ見れなくなっている。早く帰ろうよ。
宮川神社について知ったかぶりをして語ってみたけど、前述した内容を知ったのは後日になってから。当日は目の前を見事に通り過ぎている。ちなみにこの物件を仮称したのは当然、信濃のお城の神なんだけど、内容共々、神本中で最もやる気が無い。