矢島城
矢島城([上田城 周辺城郭])
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矢島城の口コミ情報
2024年05月15日 内記かずりヾ(・ε・。)
矢島城(北林城・矢島屋敷)は戸石城の西南西約4.1km、千曲川北岸(右岸)、標高1164.5mの太郎山南方裾野上、標高約513mの扇状地緩斜面上平場に立地する要害です。南麓の国道18号からの比高は35m位でしょか。先例に倣って扇状地とは書いたけど、高低差のある台地状地形は山塊が形成した押出地形とも考えられている。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車を捨てたら既に城域内だ。
築城年代は不明、築城者は矢島氏です。一般的には村上連珠砦と呼ばれる城砦群の一つとされる。村上連珠砦は虚空蔵山と太郎山の山塊に総計17を数える城砦群だが、個人的にはそこから省かれてよいお城だと思う。
建武二年(西暦1335年)、諏訪郡から神氏の矢島氏の一族が常田庄の庄司だったと推測される在地土豪、北林氏を川中島へ逐って当地に拠った。矢島城には北林城、北林庄司城の別称があるが、北林氏の居館城だった同城を改修に及んだとも考えられる。
諏訪郡の神氏、矢島氏といえば諏訪社上社の権祝家として知られるが、一族が当地に至った経緯は不明である。応永七年(西暦1400年)の「大塔合戦」の際には、篠ノ井山王堂に三百余騎を以て布陣する海野宮内小輔幸義の麾下に「矢嶋」の名が見られる。又、「矢島文書」中、永禄九年(西暦1566年)の矢島義房起請文案、永禄十年(西暦1567年)の矢嶋妙真斎起請文案によって武田氏時代にも小県郡に矢島氏があった事が判るそうだが見ていない。
たぶん4回目の訪問、上田市市街地のコンビニでおにぎりを買うと食べる場所は矢島城だと勝手に決めている。個人的に矢島城て聞くと思い出されるのはおにぎりと春巻だ。
舌状台地の先端部を活用した縄張、2郭で構成され、別に帯郭状の腰郭が付く。東西南面は急峻、特に虚空蔵沢が深く削る東面は登れない急崖だ。主郭北側の連続する台地上を二重堀切で断ち切り、西面へは竪堀となって落とし込まれる。但し、現況から確認出来るのは堀切の1条と竪堀の残滓のみ。主郭には大土塁が残る他、矢島稲荷社が鎮座する。又、石積みが多数散見されるが、これを往時のものとするのかの判断が付かない。ちなみに文章にすると立派だけど、縄張図における通称1郭と通称2郭は現役の耕作地だ。
村上連珠砦の中では最も簡単に拝めるお城、北側台地上から取り付けば比高もマイナス、おでんの容器を持ってても汁を溢す事はない。が、冬場は太郎山から吹き下ろす風が冷たくて結構辛い…優雅に食事て訳にはいかなくなるので注意っす。
※「信濃の山城と館3、上田・小県編」に準じたが、別称にある「矢島屋敷」は別に存在する。
※写真④の五輪塔は後世の積み直しだろう。順序に誤りがある。
2021年11月22日 Marky武蔵守
村上連珠砦の1つで背後の尾根に牛伏城、荒城があります。曲輪内部は畑になっており稲荷神社があります。
2020年11月03日 ️_
車で横付けできる高コスパ城です😋高コスパながら、本来は車道の部分も堀切凹で二重堀切凹凹だったらしく、車道整備が怨めしくもなります👻主郭北側の土塁凸&堀切凹はしっかりと残っており、特に堀切凹は虚空蔵沢にズドンと落ち込んでいるのがよくわかります。