大塚城

大塚城([平沢城  周辺城郭])

平沢城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「大塚城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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大塚城の口コミ情報

2024年01月06日 内記かずりヾ(・ε・。)


大塚城は平沢城の西方約3.4km、千曲川東岸(右岸)、同川氾濫原に続く河岸段丘台地上、標高364mの丘陵頂部に立地する要害です。東麓からの比高は25m位でしょか。千曲川に流入する樽川が創造した扇状地上でもあり、同川は大塚城の西方で北方へその向きを変える。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。駐車場も付いている。一つも悩む事無く城域直下に車で横付け出来る。

長野県下高井郡木島平村て知ってます?村の名前は知らなくてもロマンスの神様、「北信州木島平スキー場」が有名、Jr.アイドルのおいらも20年位前までは何回かボードでお世話になっている。ウィンタースポーツを楽しむ人達の間では雪質の良さで知られ海外からも多くが訪れる。

木島平村では、平成八年(西暦1996年)五月二十日、農地造成事業に先立つ発掘調査でびっくりするよな代物が出土した。全長74cmに及ぶ鉄製の装飾剣、弥生時代の土器と共に発見されたそれは「渦巻紋装飾付鉄剣」と命名される。卑弥呼とかの時代の剣としては全国で1振しか存在しない。

出土した場所は「根塚」と呼ばれる小丘陵、調査を進めていく内に「弥生の王墓」と後に呼ばれる首長の墓、平安時代の住居、中世の製鉄炉も検出されている。この発見を受けて開発事業は中止、「根塚遺跡」として保存が決定される。

該地の「大塚」は前述の「根塚」から東北東約0.4kmに位置する小丘陵、発掘調査は行われていないようだが中世の砦跡として認知されている。

築城年代、築城者は不明、史料、伝承等も無い。該地は中世、毛見郷に属しており、毛見氏が地頭職であった。郷域は南限を樽川、北限を馬曲川と推測され、西方を木島郷、北方は犬飼郷に接している。

「市河文書」中、寛喜元年(西暦1229年)十一月二十八日、刑部藤内(原田藤内左衛門尉か。)宛、左衛門少尉兼致(信濃守護代)書状には、「中野馬允与木嶋兵衛尉、依志久見山鷹子盗人事、…」と始まり、中野馬允(能成)の領する志久見山において木島郷地頭職、木島兵衛尉が鷹子を巣下ろししたとして守護所に訴えられた事の次第が述べられている。当初、木島兵衛尉は志久見山が木島の内であるとしながら、後には計見(毛見)の内であると抗弁している。この際に証人を求められたのが、毛見郷の地頭職、計見(毛見)五郎(実親)で、同名は志久見山に争論は無いとし、木島兵衛尉の弁明に守護所への返状を以て異議を差し挟んでいる。

観応二年(西暦1351年)六月二日、「市河文書」中、市河十郎左衛門尉(経助)宛、足利直義御教書には、「毛見彦次郎実綱申信濃國毛見郷本栖、平澤両村地頭職事 重申状具書如此、度々触遣之処、無音伝々、太無謂、所詮、今月中企参洛可明申之旨、屋代越中守権守相共、相触木島五郎二郎、戴起請詞、可被注申之状、依仰執達如件、」とあり、毛見郷の本栖、平澤、両村の地頭職を木島五郎二郎と毛見彦次郎実綱が争っている事が判る。文中で市河経助は信濃国権守、屋代越中守と相談し、音沙汰の無い木島五郎二郎の上洛を促すよう求められているが、事の次第は木島氏による毛見郷両村での騒乱が素因のようだ。

お城は田甫にぽこりんする完全独立丘陵を活用した砦規模の縄張、現在は公園?となっている(たぶん過去には神社だったと思う。)。主郭は結構な面積を持つ削平地、これを全周する形で腰郭が付く、丘陵東側斜面には明瞭な四段の段郭、最上段の郭は土塁状に高さを保ち、主郭との空間に腰郭と同一面の堀切状の鞍部を形成する。丘陵は歩行者用と車両用の登路が付いており誰でも簡単に訪ねる事が出来るが、段郭の片側半分位はこれによって削り取られているように思う。

たぶん4回目の訪問、今回もお城を見に来た訳じゃなくおにぎりを食べに訪れただけ。昼食場所にぴったりなんすよ、誰も来ないしベンチもあるんで一息入れるには丁度良い。但し、改変されているとはいえ城郭遺構は結構残っているので初見なら楽しめるお城、完全独立丘陵故に囲まれる事は容易なので本気で守る気があったのかは知らんけど。

※写真①は要るのか知らんけど近景っす。

※実はこの1週間後におでんを食べに再び訪れている。写真⑦、⑧はこの際に撮影した。豪雪地帯だが雪は平野部では殆ど溶けている。

※写真⑧は文中にある「根塚遺跡」の近景っす。別に大塚城周辺には、「小塚遺跡」、「平塚遺跡」、「朝日ゴウロ古墳」、「鬼の釜古墳」等が密集する。

2023年05月22日 マグロ常陸介祐平


小さな単独峰を利用したお城で、山頂部の本丸と一段下に狭い帯曲輪と、控え目な堀切が見られます。
本丸には、コンクリートの土台が見られることから、もともと神社跡かも知れません。

600m程の距離にある泉龍寺は、日向城主市川氏建立のお寺で、山門前の石垣の枡形は小規模ながら立派です。墓域には、山本勘助実在の証拠(市河文書)として有名になった市河藤若の墓があります。

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