上境城

上境城([平沢城  周辺城郭])

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上境城の口コミ情報

2025年01月16日 内記かずりヾ(・ε・。)


さて、口コミや写真にはアップする際の賞味期限みたいなものが暗黙の了解としてあるんだと思う。が、今回紹介するお城を最後に訪ねたのは丁度2年前の事…今年に入って再訪しようと近くを通り掛かったんだけど、積雪が想像を遥かに超えていて残念ながらリア攻めは叶わなかった。このままだと皆さんに紹介する事無く再び月日だけが過ぎてしまう…多くの人にインパクトを残す北信の良城だし、折角なんで敢えてこの了解を破って口コミしようと思う。

上境城は平沢城の北北西約10.6km、千曲川西岸(左岸)、標高約484mの段丘台地上平場を中心に立地する要害です。南東麓の千曲川からの比高は185m位でしょか。信越国境を形成する関田山脈の東麓、「岡山上段」と呼ばれる段丘面(温井台地)の南縁部に位置し、該地の部分では南方へ向かって張り出す狭小な舌状台地を形成している。付近では千曲川へ向かって東流する大小河川によって侵食された小谷や小丘が連続する複雑な峡谷様地形を見る事が出来る。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。千曲川からの比高はそれなりにあるが、西方の上境集落から城域下段を沿う様に林道が伸びているので登城は楽だ。別に長野県道116号、上境温井線を進んで城域の北側から取り付く事も可能である。おいらが辿ったのは夏場の時期は前者、冬場の時期は後者、林道はNO除雪なので走行はキャタピラー以外は不可能だ。

該地は地味ながらも交通の要衝である。市川谷道は、飯山から太田を通って上境の西方を抜けて温井に至り、温井からは台地上を東行して後に桑名川を渡る。同道は中世〜戦国時代の主要道、そのまま千曲川に沿って谷筋を進めば、大滝、白鳥を経て、市河氏が拠った箕作を対岸に見ながら青倉に入る。更に東行して国境を越え、信濃川とその名を変えた千曲川を渡れば、同川右岸地域を主な庄域としていた越後国魚沼郡妻有庄に至る。又、長尾景虎が開道させた軍道がその始まりとも伝わる関田峠道は、温井から市川谷道と分かれて関田山脈に入り、関田峠を越えて越後国頚城郡板倉へ抜け、後に高田平野を進んで最終的には春日山へと至る。

どうしても甲越が争った時期ばかりが注目されてしまうが、該地とその周辺地域は越後国の魚沼郡と頚城郡とを結ぶ信濃国における中継地に当たり、天正六年(西暦1578年)三月から続いた「御館の乱」の際にも特に重要視されていた事だろう。天正六年五月二十七日、妻有にあった小森澤刑部大輔政秀は、上杉景虎方の桃井伊豆守義孝が城代であったアプリの登録城、飯山城に独断で攻め掛かり、最終的にはこれを落城せしめている。道筋中に当たる上境も当然鳴動した事だろう。ちなみに越後国魚沼郡上田庄は上杉景勝を輩出した上田長尾氏の本貫地、当地の上田衆は景勝にとって最も信頼のおける支持母体であり、飯山から市川谷筋にかけての安定化を図る事は、景虎に合力して魚沼郡の上田口に長く張陣する北条勢への牽制上、急務でもあった筈だ。

「長野県町村誌」によれば、築城年代は文明年間(西暦1469年〜1487年)、築城者は尾崎政重の舎弟、上境四郎重永である。又、同誌には、「其孫隼人経永、永禄年間(西暦1558年〜1570年)下今井に移り、氏を今井と称し、上杉輝虎に属し、外様十人衆に列す。」ともある。

お城は雛壇状に七郭で構成される典型的な連郭式の縄張、主郭北側山側背後に横堀状の連続堀切を設けて連続する台地上とを断ち切っている。単純な縄張ではあるが、郭間の切岸のエッジは依然として立っているし、縄張図における通称2郭には土塁を配した内桝形状の虎口も確認出来る。見所は何と言っても連続堀切、信濃の山城の中でも滅多に見る事が出来ない代物、美しいとまで感じさせてくれる。写真撮影時の積雪量は膝上を優に超えていたがそれでもその深さは十分過ぎる程、この千曲川を背景にした長太な堀切に興奮しない輩とは今後も趣味趣向が重なる事は無いと思う。

このお城には苦い思い出がある。結構な積雪で登城を諦めようかと思ったんだけど、遠目からでも判る堀切を見てしまったのが運の尽き、興奮しながら猪突猛進に攻め込むも、いきなり用水路に落ちてしまい、人の背丈を超える雪の吹き溜まりに全身が埋没、足を立てると更に沈み込むのでバタフライの様に泳いで脱出、約5分間の全身運動に疲労困憊となった(おいら、この時◯3歳…御先祖様は泣いている筈…)。今なら笑って話せるけど人によっては死んでるところだわ…

※市川谷道〜近世の善光寺街道川西道と経路が殆ど重複する。

※積雪時のリア攻めは足背部が見えるかどうかで可否の判断をした方がよい。足背部が雪に埋もれているようであれば疲労度は倍どころではなくなる。つまりはぷちラッセル、筋トレだ。

2023年07月18日 _ClaD雅楽頭リアの季節
以前は藪城でしたが整備され、驚くほど見やすくなりました。説明板も立てられています。林道で(36.9516, 138.4184)あたりまで来ると、まったく登らずに城内へ行けます。

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