旦田城

旦田城([富士見城  周辺城郭])

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旦田城の口コミ情報

2026年07月16日 内記かずりヾ(・ε・。)


さて、今回の口コミは…

〜崩落してしまったお城シリーズ〜

たぶんSEASON5ぐらいになるとは思うんだけど久しぶりの登場だ。要害地形とかって諸刃の剣なんだろうな。河川に近接していたり急峻だったりして常に自然災害とは隣り合わせの存在だ。現在では急傾斜地崩壊危険区域に指定さりている所も多かったりするしね。直登すれば崩落地形にぶち当たり、尾根上に出たら出たでその先が全く無かったなんて事もあったりする。今回、紹介する物件は、洪水によって引き起こされた大崩落によって、たぶん城域の半分以上が失われている小さな砦だ。変態以外は訪ねる必要無し。

旦田城は富士見城の北西約1.8km、深沢川西岸(右岸)、標高約836mの段丘台地上平場を中心に立地する砦です。連続する台地上からの比高はむしろマイナスだが、深沢川が創造した谷筋に東面しており、同川からの比高となると45m位、謂わゆる崖端城だ。

行き方はGoogleマップに位置登録されている「Kazuho」を当座の目標に設定しよう。この何やってんだか判らない事業所の東側下段が概ねの城地だ。車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。おいらは近傍の婦人に横浜流星ばりの流し目一発を喰らわせて何とかしている。

築城年代、築城者は不明です。現在の該地の住所は小諸市滋野甲だが、中世には小県郡に含まれる地域であり、城地の東面直下を南流する深沢川はそのまま佐久郡との境目を形成していた。

城地の南南西約0.4kmに位置する、同じ富士見城のリア攻めマップにある刈屋城は、滋野三家の一つ、祢津氏の分流、三宅氏が城主であったとも伝わっている。深沢川に沿う旦田城と刈屋城は境目に備える砦であり、特に前者は佐久郡の小諸や菱野から続く古道が同川を渡る場所であったとも伝わる。築城者には祢津氏の一族や被官衆が推測出来るだろう。対岸の滝原には遍照寺の跡とも伝わる「塔の峯五輪塔群」があり、大井氏等、別の勢力の存在を窺わせている。

信濃のお城の神が描いた縄張図自体が既に不安定さを醸し出しているが、あくまでも現況から垣間見える出来る限りのものを図面に起こしてみた…と言うに過ぎないのだろう。台地上から下がる数段の腰郭状の平坦地を城地としているが、そもそもの話で崖地自体が相当に削られており、往時の形状、形態、その規模等が判る筈も無い。崖端にしては一部に不自然な地形も見られたりもするのだが、当然ながら後世の改変の可能性も捨て切れずもやもやが増すばかり…全体的には城跡として殆ど成立しないと言ってもよいと思う。

寛保二年(西暦1742年)八月に発災した未曾有の大洪水、「戌の満水」は、信濃国の内、特に犀川と千曲川流域に甚大な被害をもたらす結果となった。推定死者数は二千八百人以上、田畑、家屋の流出は限り無く、佐久郡の上畑村では村の殆どが一晩で消滅している。

めぐら〜的に洪水がどんなものだったのかを説明しよう。小諸城では、浅間山の前掛山付近の山が崩れて天然ダムを形成、後に決壊してその土石流が城地の北東、成就寺付近に流れこみ、更に六供、田町、本町に到達、大手門、足柄門、三ノ門、馬場裏、袋町、押兼五郎左衞門屋敷庭から裏門塀の順に押し流していった。千曲川による影響は受けなかったようだが、城下より低地の穴城故に被害の程は想像出来るだろう。ちなみに現在の懐古園の入口、同城の三ノ門は国指定の重要文化財として知られているが、この時に流失したために後の再建である。

松代城では、氾濫によって城の一番高い石垣(戌亥隅櫓)が水没し藩主は舟を用いて真言宗智山派の寺院、金剛山開善寺へ避難したと伝えられる。同城は元々は千曲川を外堀としていたが、この反省から同川の瀬直しが行われ、旧流路は百間堀へと改められた。ちなみに松代藩は復旧のための借財が嵩み、藩財政は逼迫、財政再建に勤しむ事になるが藩士等の反発を招き、全国的にも極めて異例となる足軽によるストライキが発生している。

旦田城に直接の被害をもたらしたのは当然ながら深沢川だが、「戌の満水」の時の長雨は、大河川のみならずこれに流入する各地の中小河川にも洪水を引き起こしていた。深く狭い谷筋を流れ下る同川が山津波の様相を呈していた事は想像に難くない。

※佐久郡の上畑村〜今でもお盆とは別に毎年八月一日に墓参りに行く風習がある。死者248人を出した村は、千曲川のみならず、飯塚川、大石川、沢入川等の中小河川が集まる所であり被害の拡大を招いた。ちなみに現在の上畑集落は移転したものだが、併せて佐久甲州往還の道の架け替えも行われている。

※松代藩〜江戸時代における真田氏には褒められるような事跡が殆ど無い。当初から表高十万石であったが明治維新期の実高はこれよりも遥かに少なかった。

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