前山城

前山城([伴野城  周辺城郭])

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前山城の口コミ情報

2020年08月04日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


長野県の佐久市にある前山城☆
道の駅ヘルシーテラス佐久南の背後に城郭は存在します☆道の駅からは城跡だと一目で分かります☆東屋が目印です☆
この地に根を生やした伴野光利によって築かれたと伝わります☆伴野氏は当初近隣の伴野館(野沢城)を居館としてました☆
同じく豪族である大井城の大井氏との争いが激化する事に備え居住を移しここに居を構えました☆伴野氏は武田氏に属し武田信玄の佐久侵攻の際にはこの城が拠点として利用され拡張されました☆武田滅亡後は織田氏に属し本能寺の変で信長が死去すると城主・伴野信守は佐久地方に進出した北条氏に従うも徳川家康の家臣である依田信蕃に攻められ落城しちゃいました☆

2020年03月12日 内記かずりヾ(・ε・。)


前山城は伴野城の西方約2.5km、北東へ延びる山塊尾根上、標高約725mのピークの一つに主郭が存します。東麓からの比高は55m位でしょか。住宅地の裏山て感じです。

築城年代は不明ですが、築城者は甲斐源氏小笠原氏の庶流である伴野氏です。室町時代後期に同氏は前山伴野氏、野沢伴野氏の二つに分裂しましたが、戦国時代には何れも武田氏の被官となっています。武田氏の佐久侵攻が助長されたのは伴野氏が近隣の大井氏との戦いで武田氏を後楯としたていた事、佐久往還を押さえる伴野氏の存在が甲斐からの通行を容易にした事(前山城は武田氏による佐久攻めの拠点の一つ。度々改修を受けた。)に疑いはありません。前述の理由から武田氏の被官としては特別な配慮を受けていましたが、武田氏の滅亡後、天正壬午の乱の際に北条氏に従った伴野氏は、徳川氏の後援を受けた依田信蕃(甲州征伐〜天正壬午の乱の時の彼の活躍は真田昌幸を凌駕していると個人的に思う。凄いっす。)の侵攻を招き前山城は落城、当主信守は自害、又、その子貞長は佐久郡相木で兵を挙げましたが、同郡白岩で依田康国に敗れて討死、国人領主としての伴野氏は滅亡しました。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。登城路は3箇所ありますが、好きな道で大丈夫なレベルです。というのも主郭には展望台と大神宮という小社が建っていて半ば公園化されているからでして、自分が訪れた際にも小学生が数名遊びに来ていました。

お城は上記の理由から全然期待してなかったのですが、いやいやどうして素敵なお城じゃないすか、主郭部のセクシーなライン、そして展望台のある場所は往時も物見台に間違い無し!これ誰でも櫓を建てたくなるほどの場所で、佐久平から浅間山まで綺麗に一望出来ます。又、主郭から南西に一段下がった削平地には米倉があったとされ、ここからは焼米の出土があったそうです。特に見事なのは二重堀切1条を含む3条の堀切で、堀切から延びる竪堀数条も残存率高し。住宅地の裏山的なお城ながら下手に削平せずに残しておいてくれたことに思わず感謝です。

気楽に散策出来ますし、軽く立ち寄った割には実に美味い物を出してくれた小料理屋みたいなお得感もありますので、伴野城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。

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