胡桃沢嶺砦
胡桃沢嶺砦([望月城 周辺城郭])
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胡桃沢嶺砦の口コミ情報
2021年10月11日 内記かずりヾ(・ε・。)
胡桃沢嶺砦(望月城砦群)は望月城の南東約1.1km、南北に延びる山塊尾根上、標高790.2mのピークの一つに主郭が存します。北西麓の中山道瓜生坂からの比高は55m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。その後は誰も行かないと思うのでパス…同じ望月城のリア攻めマップにある瓜生嶺砦、瓜生嶺南砦、松明山砦へ通じるトレッキングコースを更に南方へ進むと辿り着きます。
砦はしっかりした造りで望月城砦群の中では最も楽しめます。信濃のお城の神本(信濃の山城と館1、佐久編)では生意気にもAとBに分けられていますが、概ね4つの郭を持つ単一の砦でよいと思います。望月城砦群は基本的に望月城と山塊最南に存するこの胡桃沢嶺砦を尾根稜線上で結ぶ警戒線であると思います(大軍が来たら逃げるのだ。)。
…望月氏のお話はこれでおしまい…
望月氏は天正壬午の乱に際して佐久郡に侵攻して来た北条氏に抵抗しますが、攻めあぐねた北条氏と和睦しこれに服します。その後、徳川氏の支援を受けた依田信蕃に望月氏本拠である望月城を攻囲され一ヶ月に及ぶ籠城戦を絶え抜きますが、遂には落城(望月城は三度落城した事になる。)、望月氏当主の昌頼は真田氏を頼って落ち延びて行く途中、土民一揆に襲われて自刃し国人領主としての望月氏は滅亡しました。
依田氏は小県郡の国人領主として木曽義仲の挙兵を助けた最大の功労者です。望月氏は佐久郡の国人領主として義仲の軍事的中核の一翼(木曽義仲四天王の一人、根井行親は望月氏庶流でした。)を担いました。時勢の変化に伴い立場を変えて敵味方となる厳しい戦国時代、常に大勢力に翻弄される小さな国人領主が生き残るのは至難の業であり最後の輝きでもありました。望月城砦群なんて近世城郭を前にして比べたら吹いて飛んで行ってしまうような小さな砦跡に過ぎませんが、自分が無視せず丁寧に…時間を割いて訪ねるのにはそうした理由があるからです。