松明山砦
松明山砦([望月城 周辺城郭])
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松明山砦の口コミ情報
2021年10月11日 内記かずりヾ(・ε・。)
あんまし面白くないお城口コミ〜望月城編その3(寛大な気持ちでお付き合い下さい。)
松明山砦(望月城砦群)は望月城の南東約1.0km、南北に延びる山塊尾根上、標高約776mのピークの一つに主郭?が存します。北西麓の中山道瓜生坂からの比高は40m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。その後は誰も行かないと思うのでパス…同じ望月城のリア攻めマップにある瓜生嶺砦、瓜生嶺南砦へ通じるトレッキングコースを更に南方へ進むと辿り着きます。
砦は尾根稜線上、松明山山頂にある小郭程度の完全単郭の縄張なのかな。トレッキングコース脇に存し、現地に赴いてもただの削平地です。展望台とか建ってますが真剣に見れるレベルではないのでさっさと次へ向かいましょう。
…これだけではあんまりな口コミなので望月氏関連のお話を少しづつ…
望月氏は戦国時代には武田氏に従う事で家名を存続させました。天文十二年(西暦1543年)、望月氏当主昌頼は武田氏に抵抗、望月城は落城し昌頼は退去しますが、布引城にて抵抗を続けていた一族の望月信雅とその弟新六は天文十七年(西暦1548年)、武田氏に出仕してその被官となり、実質的な望月氏の当主となりました。みんな大好き武田典厩信繁の妻の一人は望月氏の娘であり、庶子である長男信頼(義勝)は望月氏を名乗り(家督は相続していない。)、信頼の死後は同母の三男、信永が望月氏当主信雅の養子となり家督を継ぎました。武田氏による信濃の名族懐柔策であり、望月氏は御親類衆として六十騎を率いたそうです。
信頼は早世(第四次川中島の戦いにおける戦傷が遠因とも。)、望月氏の家督を継いだ信永も長篠の戦いで討死、結局、養父の信雅が再び当主となりました。信雅は昌頼(同名に注意っす。)なる望月氏の一族と推測される者を養子に迎え家督を継がせますが、この昌頼の代で武家としての望月氏は終焉を迎えます。
続く…