望月氏城光院館

望月氏城光院館([望月城  周辺城郭])

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望月氏城光院館の口コミ情報

2021年10月07日 内記かずりヾ(・ε・。)


たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

望月氏城光院館は望月城の西方約0.2km、望月城の西麓、標高約674mの山間部平場に位置する曹洞宗の寺院、城光院境内周辺に存したとされる居館です。城光院は歴代望月氏の菩提寺で、文明七年(西暦1475年)、当時の当主である望月光恒が開基となりました。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。駐車場も付いてます。

築かれた年代は不明ですが、お住まいになられていたのは望月氏当主だった事でしょう。望月氏は系図上、本姓滋野氏で滋野則重(則広)を祖とし、信濃国佐久郡望月邑に住し望月太郎を称した事に始まるとされています。その後、則重の孫に当たる広道が海野氏を称し、広重が望月氏を継承、道直が禰津氏を称し、三家は滋野嫡流家として特に滋野三家と呼ばれました。望月氏は官制の牧場、御牧の内、信濃十六牧の筆頭である望月牧を支配して有力な武士団として発展、木曽義仲の挙兵に際しては重要なパトロン(望月牧は常時1500頭の馬を放牧していたらしい。)の一つとなりました。義仲滅亡後には源頼朝に出仕、鎌倉幕府において御家人として活躍する事となります。

望月氏は弓馬に優れた一族だったようで、頼朝が武蔵国入間野で狩を催した際には望月太郎重義、藤沢次郎清親の二人が将軍から褒められまくり。又、重義の子である重隆は傑出した人物で、文治四年(西暦1188年)の奥州藤原氏討伐に望月氏一党を率いて参陣、建久五年(西暦1194年)には幕府に坑した安田義定、義資父子を討伐しました。又、建保元年(西暦1213年)和田合戦に際し重隆の子、盛重は和田義氏の子、次郎太郎義光を討ち取る功を立て信濃国和田の地を恩賞に賜りました。重隆は鶴岡八幡宮弓初めの射手にも選ばれ、弓の上手として弓馬四天王(他に海野幸氏、小笠原長清、武田信光)の一人にも挙げられています。

居館の正確な位置は特定されておらず現地で想像するしかありませんが、城光院の南側に望月城への登城路が付いており、この付近が何となくそれっぽい…てかお寺さん自体が素晴らしいので楽しむならこっちでしょう。

望月の地は歌川広重の「木曽街道六十九次・望月」にも描かれる宿場町です。今は旅籠も少ないようですが、望月城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。

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