蟻城(北城)

蟻城(北城)([海ノ口城  周辺城郭])

海ノ口城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「蟻城(北城)」の地図・口コミがご覧頂けます。

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蟻城(北城)の口コミ情報

2026年07月02日 内記かずりヾ(・ε・。)


蟻城(北城)は海ノ口城の北方約10.3km、千曲川東岸(右岸)、標高約1047.8mの山稜山頂から北東へ伸びる尾根下段上、標高約894m地点の平場を中心に立地する砦です。北東麓の上諏訪社からの比高は40m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車は前述した、同じく位置登録がある「上諏訪社」の東側に建つ何らかの堂跡?に捨てられる。何処からでも登ろうと思えば登れるが、城地の南側からは道が付いているので楽が出来る。

蟻城は山頂の南城を中心に西城、北城の三つが同一山稜に立地する城砦群だ。縦走する事も可能だが、時間ばかりを浪費するので個別に訪問するのが良い。特に西城と北城は山麓からの比高が低いために尚更の事だ。

築城年代、築城者は不明です。この砦については同じ海ノ口城のリア攻めマップにある南城の口コミを参照して下さい。北城はその形状、形態、縄張から、西城、南城とは築城時期、築城主体が異なると推測されている。異論を持つ人も全くいないだろう。

居館城とも推測されているんだけど居住性については疑問が残る。イカち過ぎるし狭小でもあるのだ。殿て呼ばれる領主様が居する訳が無い。せいぜい蟻城の番士の根小屋だったとするのが適当なところだ。平坦地ではない二重堀の内側の大して広くもない最高所に殿の奥方等が生活するだろうか。

武田氏や天正壬午の乱の際に徳川氏や北条氏によって改修された可能性を指摘する向きもあるが、大勢力である三氏が必要とするレベルには全くない。天正壬午の乱の際の大きな争点にもなっておらず、佐久郡南部では更に北方の田口城を巡って相木氏(阿江木系依田氏)と依田氏(芦田氏)との間(両氏は同族である。)で取り合いが行われている。

縄張は3郭で構成されており、特に主郭は、外側にL字形、内側にコの字形の、段差のある二重の空堀が巡らされている。二重堀の南辺は山尾根を断ち切る堀切を兼ね、空堀辺に付く土塁も随所に良く残っており、これ等の遺構は佐久郡の城館としては極めて異質な存在だ。高い切岸と相まって全体的な減り張りが効いており、小粒ながらもその佇まいには誰でも感動する事間違い無し。但し、後世の改変も考慮すべきであろう、L字形の空堀から伸びる2条の小竪堀は、縄張として必要とは思われない2箇所の虎口を土塁辺に形成してしまっており、耕作等のための単なる通路とも見て取れる。ちなみに地権者の方が相当な頑張り屋さんだ…城域内を南北に通る道等を付けるためにミニユンボを使って鋭意造成中…城地がこのまま良好に保存されていくのかは微妙なところ…明日にはどうなるのかも判らない事から興味を持ったら是非早めの訪問を…

蟻城城砦群の内に含まれているが、その縄張から築城時期は戦国時代の初期頃が推測出来る。その占地から当然の如く意識はされているとは思うのだが、結果的には西城や南城とは別に捉えるべき際立った存在となっている。登城は一段上がるだけ、探索も容易、ダイパに優れた好物件だ。

※平賀の内と云われる該地の崎田と伴野十二郷を構成した海瀬郷の花岡は遮るもの無く隣り合っている。単純な区割りからすれば、室町時代の一時期において、大井氏と伴野氏との境目であった事が推測出来るだろう。崎田集落の後背地に聳える河岸段丘台地上の一山稜に城砦群を築かなければならなかった理由もそこにあるのではないだろうか。

※居館城〜何の根拠も無いが、むしろ居館地は別にあったと考える(付近には、地形、水場等から導き出される適地が散見される。)。北城はこれに付随する砦ではなかったろうか。

※二重堀〜上段は土塁付きの腰郭かもしれない。

※ミニユンボを使って鋭意造成中〜もし見掛けたら気絶させるんじゃなくて、城跡をこれでもかと褒め称え、下手に出ながらそれとなく遺構を損壊しないようお願いしよう。

2026年04月22日 ᴿᴱᴰ副将軍


コンパクトながらも二重横堀が見事な名城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代等の城史は史料等がなく不詳。
現地案内板では「木曽義仲が、父である源義賢がかつて居住していた多胡庄に近いこの地に樋口兼光を派遣し、楯氏、矢田氏の協力を得て西上州における武士団の結集を図ったと思われる」とあります。
北城のほかにも南城、西城もある広大な城跡であり、残存する遺構の縄張りからは戦国期のものと思われます。
武田氏が上州に侵攻する際に改修したものか、または1582年の天正壬後の乱の際に徳川氏または北条氏が改修したものと思われます。

見所
山頂に南城、西には西城がある一城別郭の広大な城郭です。
但し、北城は南城、西城と比べて土木量が大きく、技巧的であり時代も新しいと感じます。
南北に連なる三つの郭で構成され、各郭は広く居住性が高い空間です。
最高所の主郭は南側に土塁が敷設され、その背後は二重堀切で遮断。
主郭の北側に二郭、三郭が連なり、それぞれ高さのある段差で区切られています。
主郭と二郭の西側は二重の横堀が巡り、主郭背後の堀切端部へと繋がっています。

2023年07月18日 ClaD秋の遠征計画中務卿
見事な二重横堀でマニアに知られる城です。(36.1302, 138.4851)あたりから山のほうを目指すとすぐに横堀が見えてきます。

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