羽黒山狼煙台A
羽黒山狼煙台A([龍岡城 周辺城郭])
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羽黒山狼煙台Aの口コミ情報
2025年10月11日 内記かすりヾ(・ε・。)
さて、色物物件FOREVER…
…おいらのお城LIFEの中心を占めているのが信濃の城館廻りなんだけど、バイブルにしている「信濃の山城と館」には多数の色物物件が掲載されている。大抵は地名や伝承から導き出された推測地なんだけど、今回、紹介する物件は、「定本 佐久の城」の中の一項目である、「仮説武田氏の飛脚かがり」に関連して問題提起された狼煙台の推測地だ。その推測の理由はあくまで逆説的なものとなっており、「此処に狼煙台が置かれなければ狼煙が繋がらなくね?」的な感じ…本来なら無視したいところなんだけど、信濃のお城の神が生真面目に調査に入ってるしなぁ…
羽黒山狼煙台(A・B)は龍岡城の南南西約3.7km(A)、3.8km(B)、千曲川東岸(右岸)、抜井川北岸(右岸)、標高810.0mの通称、羽黒山山頂から西方へ伸びる尾根下段上、標高約780m地点の平場(A)、同山山頂西端部、標高約800m地点の平場(B)に立地したと推測される狼煙台です。西麓の東町交差点からの比高は40m(A)、60m(B)位でしょか。ちなみにこの交差点を南北に通る道が往時の佐久甲州道、近世の佐久往還である。
行き方はGoogleマップに位置登録されている「羽黒下駅近くの石碑群」…を目標に設定して下さい。車は同駅前の空地?に捨てるのがよい。後はリア攻めマップを参照して該地を特定しよう。(A)の方は、該地に建つ廃社(羽黒社か。)に通じる参道の階段を登るが、(B)の方は、国土地理院地図と相談して別のアプローチを取ってから登った方がよいかもしれん。何れにせよ、初めて訪ねる人にとっては非常に判り難い場所となっている。
該地の佐久郡平林村は、中世には平賀庄を構成していた一村であり、嘉暦四年(西暦1329年)三月、「諏方上宮五月會付流鏑馬之頭、花會頭与可為同前御射山頭結番之事」を定めた鎌倉幕府下知状案には、「八番五月會分 …(御射山)右頭、平賀郷内三河田、滑瀬、平林、平賀、松井地頭等、」とある。村の沿革等は、寛文年間(西暦1661年〜1673年)、名主宅が失火、古文書等が焼失したため古昔の事が不詳となっている。ちなみに該地の直下、羽黒下の町並みは、東に羽黒山が迫り、西を千曲川、南を抜井川とする、極めて狭い範囲、傾斜地等に人家が集中している。
狼煙台の現況なんだけど所詮は色物物件だ。ちゃっちゃと終わらせよう。まず(A)の方は東西に長い社地(廃社)となっている。削平は殆ど見られず、だらしなく山尾根が下っている。城郭遺構は見出せず何も語る事が出来ない。(B)の方は一応の平坦地だが、ただの山林、雑木林となっており、探索は藪蚊に献血しに行くようなもの。ただの徒労に終わる。但し、該地の直下、崖下の岩場が後世の石丁場か何らかの用の水源地だったようで、何とも言えない不思議な謎地形を形成していて面白かった。石積みなんかも見られ、集落の秘密の場所に迷い込んだ感さえ漂よっている。ちなみに現在の展望はどちらも木々に遮られて絶望的だ。
前述した羽黒下は佐久往還沿いの町屋、近世から近代まで何でも揃う場所として賑わいを見せたそうだが、モータリゼーションの発達に伴い次第に廃れていったらしい。インフラが整備された事により移動のスピードが上がり、街道沿いの合間の町はただ通り過ぎるだけの存在に成り下がってしまった。ちなみに羽黒山の方は山頂部が真っ平なパターゴルフ場?に変貌しているが、これはかつて存在した草競馬場の旧地でもあるんだそう。牛と馬が同時に出走する長閑なレースが観られたそうで、地域住民の娯楽として結構な盛り上がりを見せていたらしい。
※写真は全て(A)の物、(B)については別にスポット登録してあるのでそちらをどうぞ。









