向城

向城([龍岡城  周辺城郭])

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向城の口コミ情報

2026年06月04日 内記かずりヾ(・ε・。)


さて、佐久郡の城館廻りは4年前に一区切りを付けたつもりだったんだけど、ひょんな事から再訪した山城に新たな魅力を再発見してしまい今では個人的第二次佐久郡ブームが起きている。

佐久郡の南部地域は、八ヶ岳連峰の東方裾野を経て秩父山地へと分け入る佐久甲州道(佐久往還)が千曲川の左岸地域を選んて通っており、同川の両岸には、要害や砦、狼煙台や物見台等が狭い範囲で集中している。歴史的に見れば武田勢にいきなり総なめにされた地域でもあり、これ等、城砦が脚光を浴びる事は少なかった訳なんだけど、今に残る縄張は地域特性等を加味して大変な魅力を放っている。たぶん神本の内では最も売れなかったであろう「信濃の山城と館1、佐久編」を片手にリア攻めのやり直しだ。

向城は龍岡城の西南西約4.0km、片貝川北岸(左岸)、標高約792.9mの山稜山頂から西方へ伸びる尾根中段上、標高約779m地点の平場に立地する砦です。北東麓の佐久切原グラウンドからの比高は35m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車は同じく位置登録がある、前述した「切原グラウンド」に捨てられる。城地へは南麓から取り付き、殆ど直登して一旦は該当山稜(丘程度…)の山頂を目指そう。此処から僅かに下れば直ぐに城域内に入る。

築城年代、築城者は不明です。向城は片貝川の対岸に位置する、同じ龍岡城のリア攻めマップにある雁峰城の支城と考察されており、築城主体も同一だと思われる。別に武田晴信が雁峰城に攻め寄せた際に築いた陣城だとする伝承が残っているが甚だ疑問、同城の落城が史料に現れるのは、大永七年(西暦1527年)、武田信虎時代の事である。天文年間(西暦1532年〜1555年)の武田氏による佐久郡経略の際の再度の落城も考えられるが、僅かな期間で数十城が自落するような状況であった事からわざわざ陣城を築く必要も無かった筈だ。ちなみに向城の造作には雁峰城との類似性が認められる。

該地の佐久郡小田切は、平安時代の末期から滋野姓小田切氏が拠った所であり、向城と周辺諸城の築城者を同氏とする説が散見されるが、小田切氏は鎌倉時代の初期に水内郡小市へと退転しており、その後の活動の場を主に善光寺平へと移している。佐久郡に残った一族もあったようだが、既に在地土豪として存続し得たのかさえもはっきりとしない。疑問や問題提起も含めて色々と語りたい事はあるのだが、この辺りの事情は纏め切れていないので別の機会に譲りたい。

縄張は6郭で構成されている。最上段の主郭を除けば他は雛段状の腰郭様に造成されており、これ等の削平、切岸の角度と高さが全く以て素晴らしい。今でも城域内の縦方向等への移動を見事に制限しており、謂わゆる後世の段々畑とは明らかに違う造作だ。城郭遺構としては主郭北側山側背後を断ち切る箱堀状の堀切、これ1条と主郭の切岸のみで後背地からの全ての侵入を防ごうとする築城者の覚悟も潔い。全体的に見れば単純でコンパクトではあるのだが、佐久南部地域クオリティーがそのまま凝縮されたような砦であり、小粒でもぴりりと辛いとは正にこの事を言う。

初訪問は5年前になるのかな。懐かしいてよりは別の視点を以て新鮮な気持ちでリア攻めする事が出来た。他所からすれば取るに足りない砦なんだろうけど凄く楽しかったさ。そう、おいら自身も確実に成長しているんだろうな。こりからも基本的にはソロめぐら〜であり続けるだろう、常に一所懸命だ。

※向城〜本城である雁峰城の向かいに立地しており、両城によって臼田から小田切への関門を形成している。

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