花岡城(烽火台)
花岡城(烽火台)([龍岡城 周辺城郭])
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花岡城(烽火台)の口コミ情報
2026年06月08日 内記がずりヾ(・ε・。)
花岡城(花岡烽火台・松明山・城山)は龍岡城の南南西約6.3km、千曲川東岸(右岸)、抜井川南岸(左岸)、標高約880mの山稜山頂部を中心に立地する要害です。西麓の舗装道路からの比高は70m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。城地は花岡遺跡公園として整備されており駐車場も付いている。遊歩道の登り口には簡易な縄張図も添付された説明板が立っているので頭に叩き込んでおこう。
該地の佐久郡海瀬郷は、中世には伴野庄を構成していた一郷であったようだ。色々と問題はあるが、後の天正二年(西暦1574年)三月甲戌吉日に書かれた「佐久大井氏由緒」によれば、伴野十二郷として「海瀬之郷」が書き上げられている。
築城年代は不明、築城者には伴野庄の惣地頭職であった伴野氏の一族、花岡氏が伝えられているが、同氏の事跡については全くの不明であるとしか言いようがない。
「長野県町村誌」には、「下海瀬卯(東)の方花岡組の山上にあり。山脈牧澤山より来り、漸々低下する所に一峯秀出す。本郭周廻二町(約218m)、古松鬱蒼して稲荷の社あり。東に大堀切あり。南北西に足溜りの郭ありて、回字形をなす。用水は南の山腰より引たる址あり。城南、城北、城腰等の字ありて、土石の器、古銭等出たる事あり。某の據し所なるを詳にせず。里老傅曰、伴野の氏族花岡氏居せしは、高野山蓮華定院過去帳、永禄中(西暦1558年〜1570年)花岡氏とあり。その傅不詳。此城址より望めば、蓼科、浅間、八ヶ嶽の諸嶽、千曲の長流及び佐久郡大半一瞬上に現出す。」とあり、併せて的を得たなかなかの絵図が添付されている。
別称にある松明山から武田氏時代に狼煙台が置かれていたとも云われているが、発掘調査の結果、その遺構はおろか焼土も検出されてはおらずこの点においては多分に疑問を残している。又、主郭からは建物礎石と柱穴が検出されたそうで、むしろ在地土豪層等の要害であったとの見方が強まったらしく、当時の生活用具や長野県では初めてとなる秤の錘が出土した事もこれを裏付けているようだ。
縄張は山頂の主郭を中心にその下段の全周に1段〜3段程度の腰郭を多数設けたもの。遊歩道が造成された事によって腰郭に連続性が生じているが概ねで改変は少ないものと思われる。城郭遺構としては、主郭からの東尾根に二重堀切1条を含む三連続堀切、主郭からの北西尾根に連続堀切を穿っており、特に後者の1条からは片側のみの長大な竪堀が落とし込まれており見所の一つとなっている。公園城だからと言って決して侮ってはいけない。この要害は遺跡公園であるが故に遺構が良好に保たれているのだ。佐久郡の城館の多くに備わるエッジの立った切岸に感動しよう。ちなみに主郭にはその面積の半分以上を占める立派な模擬櫓が建っており、此処からは同じ龍岡城のリア攻めマップにある蟻城が良く見える。
城地の北方には、抜井川に流れ込む余地川沿いを進んで山中に入り、上野国甘楽郡へと至る余地峠道が東西に通っている。国境に位置する峠の標高は1268m、信じられないかもしれないが、上野国内箕輪城に攻め寄せる武田勢が度々通った軍道(「甲陽軍鑑」)の一つでもある。在地土豪層の要害として築かれたと考えられる花岡城だが、武田氏時代にも番士の常駐する何らかの砦として機能していたのかもしれない。伝承に残ったのはそれが故とも言える。
※「松明山」を狼煙台の跡として捉えるのではなく、単純に度々松明が灯された要害だと考える事は出来ないのだろうか。狼煙台なら別の呼び方があると思うのだが…
※冬場に訪ねた事は無いんだけど、城友さんの写真を見ると下草が消えるんでそちらの方がよいだろう。
※高野山蓮華定院〜東信の武家の多くが宿坊に定めている。真田氏だけの話ではない。
※発掘調査〜「佐久穂町文化財報告書5:花岡城跡(1996)」で見る事が出来る。発掘調査は純粋に花岡城を目的としている。
2021年01月17日 【うっかり】赤かぶ
現在花岡遺跡公園として整備されています。
Googleマップで花岡遺跡公園で検索するとでてきます。
公園と言うこともあり、麓には駐車場・東屋・トイレ・すべり台などの遊具が設備されておりました。トイレは冬季は使えないかもしれません!1月16に訪れた時はずっと鍵がかかっていました。
山頂に焼土の散布が認められた事から烽火台と考えられてきましたが、平成の発掘調査で礎石や柱穴、陶磁器・砥石・釘・秤の錘など生活用品も見つかり城だったのでは?!との見解も出てきたようです!!
遺構としては主郭を中心に周囲に帯曲輪・段郭が設けられ、東側に2重堀切!北側には堀切から麓へ堕ちる竪堀が見られます♬︎
堀切は浅く感じます。落ち葉もあるので余計にそう感じます!北側の堀切の掘底へ降りてみましたが、足首のちょっと上まで落ち葉で埋まりました(笑)
また主郭には現在、物見櫓が建てられており登る事が出来ます!烽火台の説明板も掲げてありましたので興味のある方は読んでみてください。
櫓の上からの景色も楽しむ事が出来ますよ♪
城郭内(帯曲輪など)のいたる所に木製のテーブルと椅子がありますので、お弁当を食べたりお茶を飲んだりとゆっくり散策する事が出来ます!
遊具もありますので小さなお子さんを連れて来るのも良いかもしれませんね☀︎
① 段郭に設けられたテーブル&椅子
② 東側の堀切
③ 帯曲輪
④ 主郭
⑤ 北側の堀切
⑥ 北側の竪堀









