登矢ヶ峰城(瀬沢城)
登矢ヶ峰城(瀬沢城)([先達城 周辺城郭])
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登矢ヶ峰城(瀬沢城)の口コミ情報
2023年12月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
登矢ヶ峰城(瀬沢城)は先達城の西方約4.9km、釜無川北岸(左岸)、立場川西岸(左岸)、標高約948mの登矢ヶ峰山頂部に立地したとの伝承が残る陣所です。南麓の釜無川からの比高は145m位でしょか。東方には釜無川と立場川の合流点を控える他、山稜の東西を乙貝川と武智川が南北に流れて釜無川に合流する。南麓からは登るのも難しい急崖が立ちはだかるが、北麓からは河岸台地上の丘陵地を介するために比較的なだらかであり、徒歩で登る比高も50mを超えない。
行き方は…びっくりする事にGoogleマップに遠州の城友さんが位置登録しているのでダイレクト設定して下さい。取り付きは北麓からで、判り難い道筋が一応付いてるけど適当登っても全然大丈夫っす。伝承地とはいえ城跡として山頂まで登った人間は信濃のお城の神も含めて3人だけだと思う。
「瀬沢の戦い」に因む伝承地の一つ、諏訪頼重が陣所を置いた場所と伝わる。戦いについては個別に説明すんのが面倒なんで同じ先達城のリア攻めマップにある瀬沢合戦跡を参照して下さい。戦いの概ねの場は登矢ヶ峰城から北北東に約1.1kmて感じっす。
伝承地ながら登矢ヶ峰の尾根からは兜の錣(しころ)が出土した事もあるんだそう。合戦、陣所の存在の証左に成り得るのか知らんけど、該地は天正十年(西暦1582年)、天正壬午の乱の際に北条勢が陣所とした小沼小屋(木間小屋とも。)にも比定されているらしい。何れにせよ甲州から諏訪郡に入る関門の地の一つであり、軍勢を動かせば無視は出来ない地勢て事なんだろう。
お城の現況は…殆ど地山、てか地山だよ。山頂部には巨石がごろごろ…古代の祭祀場みたいな趣きもあるが決して意味のあるものとして受け取ってはならない。ランドマークとしてひっそりと小祠が鎮座、但し、恥ずかしがり屋さんなのか藪に正面を向いてしまい横と後ろからしか写真を撮る事が出来ない。北東麓には「木戸口」の小字が残る。
周辺には諏訪頼重の伝承地が幾つか残る。即ち、石関係なら「頼重の鞍掛石」、「頼重の休み石」、水関係なら「頼重の杖突水」、他には矢を作った場所、「矢作戸(やはぎど)」なんてのもある。時間もあったので位置を全て特定しよかなとか思ったけど、考えてみたら途方も無い作業になるのは目に見えてるんであっさりと諦めた。
※「木戸口」は「城戸口」かと推測されているが、諏訪郡への関門として甲州との境目に設けられた純粋な「木戸口」の可能性も残る。
※文中でも説明したが、現況と伝承からすれば陣城と呼ばれるのも憚れる陣所である。
※写真⑥は要るのか知らんけど横吹集落から撮影した遠景っす。横吹には鎌倉道、もしくはそれに準ずる間道が通っていたと推測される。