城の尾根陣場

城の尾根陣場([先達城  周辺城郭])

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城の尾根陣場の口コミ情報

2023年12月22日 内記かずりヾ(・ε・。)


城の尾根陣場は先達城の西方約6.0km、武智川南岸(左岸)、標高約928mの丘陵地緩斜面上平場に立地したとの伝承が残る陣場です。北麓の武智川からの比高は40m位でしょか。南西、標高2116.7mの釜無山、その前衛山塊から続く北方裾野でもあり、裾野が河岸台地に消える短冊状の先端部が「城の尾根」の小字が残る該地だ。

行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。周辺に目標となるものがありまてん…ちなみに近くに辿り着いても該地の特定に難儀すると思う。

「瀬沢の戦い」に因む伝承地の一つ、戦いについては個別に説明すんのが面倒なんで同じ先達城のリア攻めマップにある瀬沢合戦跡を参照して下さい。戦いの概ねの場は城の尾根陣場から北東に約1.5kmて感じっす。

「長野県町村誌」には単に、「…砦を設し所と見ゆ。」とあり、誰が陣を置いたのかはそもそも不明である。又、天正十年(西暦1582年)、天正壬午の乱の際、大門峠を越えて徳川勢と対陣した北条勢は「城の尾根」に陣城を築いて「小沼小屋(木間小屋)」と呼んだ(「寛永諸家系図伝」、「寛政重修諸家譜」、「譜牒余録後編二十六」)らしく、伝承地とはいえ「瀬沢の戦い」における陣所に加えて、後に北条勢によって再び陣場となった稀有な場所である。

陣場の現況は…原野、雑木林、耕作地、耕作放棄地等となっている。城域も不明だし改変も著しいんだろうけど、そもそも論でファジー過ぎてよく判らん。「城の尾根」の東側には「沼の神」の小字が残り(小さな沼があるらしいが藪過ぎて未見…)、西側は「ねずみ久保」の小字を残す窪地となっている。「ねずみ」は「不寝見」に通じるので物見の場だろうか。但し、低地で物見するよりは「城の尾根」に上がった方が遥かに見通しは良い。あくまで現況と立地から感じた個人的な推測に過ぎないが、道押さえの砦の類いとして既にあったものを陣場として拡張し二次利用に及んだものではないだろうか。低地の物見場は番所としての「不寝見」とも考えられる。

該地周辺は地味ながらも交通の要衝であり、鎌倉道、もしくはそれに準ずる間道が通っていたと推測される。道筋は東方、甲斐の下蔦木から古宿、横吹を経て該地の木之間、観音坂を登り、武智川沿いを進んで若宮に至る。木之間からは北行して乙事に通じる他、横吹から南行すれば休戸(やすみど)に至る。天正壬午の乱における徳川勢と北条勢による「乙事対陣」はこれ等道筋を中心として繰り広げられた事は容易に想像が付く。

余談だが、日本武尊東征の際の推定復路の一つに諏訪を通ったとするものがあり、前述の「休戸」は文字通り日本武尊が休息した場所と伝えられる。日本武尊の「御通路」は文献によって違いがある上に伝承、伝説の域を脱しないものだが、古代より何らかの道筋が周辺地域に存在した事の証左には十分成り得ると思う。

※写真①は縄張図における通称1郭っす。

※写真②は堀切っぽく見えるけど遺構なんてある訳が無い。

※写真⑦は物見場と推測される「ねずみ久保」の小字が残る場所、低地なんで逆に見えない気がする。

※写真⑧は上段、町道から撮影した「城の尾根」の方向、近景として撮ったつもりだったけど、確認したら城域は写っていなかった…

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