橋原の火とぼし山砦
橋原の火とぼし山砦([花岡城 周辺城郭])
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橋原の火とぼし山砦の口コミ情報
2026年03月27日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、今回はびっくり物件の紹介だ。ニッチな不動産の担当ならおいらに任してくり。営業成績は特に期待さりていないんだけど、物件を何か意味ありげなものに仕立て上げる事だけは大得意、写真もそれっぽく撮って何とか内見までは漕ぎ着けるつもりだ。ちなみに売れた事は一度たりとて無いんだけどね…
橋原の火とぼし山砦は花岡城の南西約0.8km、天竜川東岸(左岸)、標高1021.1mの山稜山頂から北方へ伸びる尾根上段上、標高約996m地点の緩斜面上平場に立地する狼煙台の類いです。東麓の諏訪湖湖面上からの比高は235m位でしょか。該当山稜は諏訪湖の釜口水門から流れ出る天竜川を見下ろす位置にある。
行き方は…はっきり言って訪ねた事を人に知られたくないような物件なんだけど、びっくりする事にGoogleマップに位置登録さりてるんでダイレクト設定してくらさい…登録者は遠州の城友さん…登録行為自体が変態である事をカミングアウトしちょる…
後はリア攻めマップの国土地理院地図を参照して該地を特定しよう。はっきり言って訪ねる奴は余程の暇人か世捨て人だ。従って詳細はパスしとこう。敢えて説明するならば、該当山稜の東面下段には、同じく位置登録がある「須ヶ平遺跡」へと登る林道が南北に通っている。この林道を山頂の後背地、三又の分岐を目指して車で登れば苦労はしない。ちなみにおいらはこの林道に凄まじく不安を感じたので早々に車を捨てているんだけど、結果的に言えば軽自動車ならすんなりだった。徒歩だとだらだらで1時間強…傾斜は凄く緩やかで楽なんだけどだる過ぎる。
あ、言い忘れたけど、花岡城方向からの直登は論外、結構急峻なお山だし地形も複雑なんで進むべき方向を逸脱してしまうと思うさ。
登城の留意点は熊さん対策、該当山稜の山頂付近では5箇所に奴の痕跡を発見した。北側斜面の下段には放棄された栗畑が散在し、今も栗の木が大量に自生している。林道が伸びている事から軽い気持ちで入ったんだけど、結構、ヤベぃお山だわさ。そりから重要な事をもう一点…狼煙台を通り過ぎないでくり。
築城年代、築城者は不明…はっきり言って知ったところでどうすんのレベルの話だ。敢えて語るならば諏訪郡に拠った勢力て事になるんだろう。花岡城の後背地でもあり距離も近いんだけど、両者間の関係性は限り無く薄いだろう。
狼煙台の現況は…山側を除く三方土塁様地形囲みの平坦地、該当山稜は過去には山頂部付近まで耕作されていたようだが、この人工の跡の造成時期にあっては判る筈も無い。周囲に類例を見ないので城郭遺構と判断してもよいように思われるが…ちなみに展望は鬱蒼としていて最悪レベル、台から結構な距離を下りないと山下が見えない。自分が世間から取り残されてしまった様にも感じる凄く寂しい場所だ。
「火とぼし山」、「火ともし山」、「火灯山」…諏訪湖の周辺では何箇所かに確認出来るお山だが、信濃のお城の神はこれを狼煙台の跡等と推測して調査に入っている。但し、本当にそうだったのであろうか、信者ではあるが個人的にはこれに少なからぬ疑問を抱き始めている。本来の目的は、諏訪社の神事の期間の際に篝火等を以て灯火を置いた場所なのではないだろうか。
前述した須ヶ平遺跡は、縄文時代と古墳時代の土器が出土してどきどきした遺跡なんだけど、此処には一つの伝説が残っている…
「大昔須ヶ平に住んでいた人々があった。強勇で身の丈が六尺(約182cm)に余り狩猟を業とした。洩矢の一族であった。その長を代々須がの長者と言った。今も長者池という沼があり、一族が掘り設けたものという。」
…諏訪地方の国津神、洩矢神の一族が住していたて事になるんだろうか。該当山稜の西麓には、洩矢神社が鎮座し、洩矢大神御舊趾て呼ばれる住居跡も伝わっている。今は何の変哲もないただのお山なんだけど、かつては神聖な場所だったのかもしれない。
※花岡城には立ち寄ったんだけど、当日のリア攻めはこり1件のみ…おいらエンゲル係数はかなり高めなんだけど、めぐら〜としてはかなり安く済む人間だ。
※長者池〜今も水を湛えているが人工によって維持されているらしい。ちなみに遺跡の東端には須ヶ平糠塚古墳て呼ばれる古墳が確認されているんだそう。
※滅茶苦茶あっさり済ませようて思ったこの口コミなんだけど、やっぱしそうは問屋が卸さなかった…訪ねたからにはただじゃ帰らねぃ…









