上松蔵人屋敷

上松蔵人屋敷([福島城  周辺城郭])

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上松蔵人屋敷の口コミ情報

2025年10月30日 内記かすりヾ(・ε・。)


上松蔵人屋敷は福島城の南方約7.7km、木曽川東岸(左岸)、十王沢川南岸(左岸)、標高約739mの河岸段丘台地丘陵上平場に立地した屋敷です。該地の小丘陵は天神山とも呼ばれているらしい。

行き方はGoogleマップに「天神山城館跡」の名称で位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車も屋敷地内に捨てられる。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは上松蔵人です。同名は藤姓木曽氏十八代、義昌の舎弟、義豊の事であり、該地の上松を宛行われ、在名を取って上松蔵人を名乗った。屋敷地の西側下段、臨済宗妙心寺派の寺院、聖岩山玉林院の開山、玉林聖賢は、木曽氏十六代、義在の舎弟である(義豊にとっては大叔父に当たる。)事から、寺地に隣接する該地を義豊に与えたとも伝わっている。

天正十年(西暦1582年)二月、木曽氏は織田氏の調略を受けて武田氏を離反するが、この際に織田氏に証人(人質)として赴いたのがこの義豊である(「信長公記」)。同名は菅屋長頼に預けられ、後には小笠原蔵之助を名乗ったらしいが謎でしかない。

「木曽旧記録」、「木曽考」によれば、木曽義昌の子、木曽氏十九代当主、義利とは折り合いが悪く、その関係は険悪だったらしい。後に義豊は、義昌が織田信長より拝領した、家宝の「鈴蟲」の轡を掠め取ったとして、慶長元年(西暦1596年)、義利によって誅された。同名は以前から粗暴な振る舞いが多かったそうだが、この一件によって徳川家康の勘気を蒙り、慶長五年(西暦1600年)、木曽氏は移封先の下総国海上郡阿知戸の一万石を改易され、以降、戦国大名としての同氏が再興する事は無かった。

屋敷の現況は…まず、屋敷地の正確な場所が錯綜している。信濃のお城の神は、中山道上松宿の本陣、塚本家(現在は大部分が塚本歯科医院となっている。)の建つ場所だと聞いたそうだが、別の資料によれば、本陣跡裏手の畑地がその場所だと言い、現地説明板によれば、前述した玉林院背後の小丘陵上がその場所だと書いている。武士の居する場所として隣接する高台よりも低地である事は考え難いようにも思うし、少なくとも後者二説では本陣跡の場所が該地ではない事では一致している。何れにせよ、ごく狭い範囲の話ではあるのだが、やはり天満宮の鎮座する小丘陵上の平場が適地だとは言えないだろうか。

小丘陵上は意外にも広く、単なる物見の場や櫓台の跡とするのは早計だろう。過去には耕作されていたらしいが屋敷が建つには十分過ぎる程の敷地面積がある。城郭遺構は見出せないとはいえ、坂入りの虎口様の地形がそれらしい雰囲気を高めている。ちなみに小丘陵の西側下段には前述したとおり「天神山木曽氏館跡」として説明板が立っている。

前述した、中山道上松宿の本陣を務めた塚本家は、その先祖が木曽氏の被官であり、塚本三郎兵衛尉は、永禄年間(西暦1558年〜1570年)〜文禄年間(西暦1592年〜1596年)の間に度々軍忠があり、家には木曽義昌発給の軍役督促状が伝わっていたらしい。三郎兵衛尉の二男は、小川久助(不詳)に附属して朝鮮出兵に際して渡海したとも。ちなみに塚本家は、上松蔵人が誅された後に下総国から還住したとも伝わっている。

※木曽氏十四代、家賢の代にも舎弟、伊予守家信が上松を宛行われ上松氏を称している。但し、同地を代々に亘って知行した一族の家があったとも考えられず、木曽氏の本拠、福島と、かつての本拠、須原との中間点にあたる上松には、枢要の地として当主に近い者が特に選ばれて配されていたものと推測する。

※慶長五年(西暦1600年)、木曽氏は移封先の下総国海上郡阿知戸の一万石を改易〜改易されたのは義豊の誅殺から四年の後の事である。それだけが直接の理由ではないだろう。

※屋敷地の正確な場所が錯綜〜「長野県町村誌」によれば、「…上松驛目今塚本治郎宅なり。」とある。ちなみにややこしいが明治時代初頭の上松は駒ヶ根村であった。

※写真①、②は文中にある玉林院を撮影した物、創建年を考えると上松蔵人が寺地を寄進したとも考えられるらしい。ちなみに山門は江戸時代中期頃の建立、上松町最古の楼門建築として町指定の有形文化財である。

※写真⑧は屋敷地から撮影した標高909.7mの愛宕山、山頂部には同じ福島城のリア攻めマップにある上松城が立地する。東方からかなり巻いてから登る未舗装林道が付いているが、面倒だからと言って南麓から直登(無理矢理に崖地をよじ登るに等しい。)すると悲惨極まりない結果を招くので止めておこう。思い出したくもないや。

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