火燃山狼煙台(根井山)
火燃山狼煙台(根井山)([福島城 周辺城郭])
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火燃山狼煙台(根井山)の口コミ情報
2023年11月11日 内記かずりヾ(・ε・。)
火燃山狼煙台は福島城の西方約1.7km、木曽川東岸(左岸)、八沢川北岸(右岸)、標高972mの火燃山(根井山)山頂部に立地する狼煙台です。西麓のJR中央西線軌道敷からの比高は190m位でしょか。但し、南麓の登山道入口は既に高度を稼いでいるので徒歩で登る比高は125m位となる。ちなみに「火燃山」は「ひともしやま」と読ませる。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。南麓の団地の奥に沢沿いを辿る冠木門が目印の登山道が付いてます。車も此処で捨てられる。
築城年代は不明、築城者は木曽氏です。木曽氏の本拠、同じ福島城のリア攻めマップにある上之段城は火燃山(根井山)の尾根末端部に主郭が位置する。木曽氏の狼煙台ネットワークの起点でもあり重要である。
山名は年中山火事を起こしていそうな感じだし、狼煙台跡に因むものなのかなとも思ってたけど違うらしい。「長野県町村誌」には、「…永享六年(西暦1434年)七月十四五両夜、木曽信道炬火を此山に点じ夫れより興禅寺に入りて遠祖義仲を祭り、人民に風流踊を行わしむ 爾来慣例となり居民毎年七月十四五夜火を此山に燃して文字の形を造れり 因りて火燃山の称起る…」とある。風流て言えば聞こえはよいけど信道はお祭り野郎だったんすかね。そしてこれが「木曽踊」の起源でもある。又、町村誌が源義仲をこの時期の藤原流木曽氏の遠祖と書く事には甚だ疑問を感じる。但し、小木曾荘から地頭職、真壁氏を逐い木曽谷最大の実力者として郷土の名門、義仲を意識し始めた事は充分に考えられる。
登城路入口は藪ってて不安しか感じないが、沢沿いの道は少しのガレ場があるぐらいで登り易い。が、城域の全て、特に縄張図における通称1郭と通称2郭は熊笹の激藪と化しているので探索は非常に難儀する。
狼煙台の現況は…前述のとおり熊笹の激藪、写真なんかとても無理な感じだ。悩ましいのは木曽谷の狼煙台としてはスペシャルな縄張を持っており肉眼ではそれがはっきりと確認出来る事…せめて遺構が判別出来るぐらいの写真を撮ろうとして熊笹を踏み倒しまくるが無駄な努力に終わる。熊笹は数十年に一度しか根枯れしないので冬場でも無理な狼煙台…全周土塁囲みの主郭に3条の堀切…諦め切れないけれど諦めるしかない。堀切の1条が何とか写真に出来たのがせめてもの救いだった。
帰りは何かありそうな感じがして山頂部からの北尾根を下りてみた。尾根筋の小さな平場の全てが狼煙場か物見場に見えてしまう。最近のおいらはどうかしているのかしらん…それっぽい地形に釣られて結構な急崖を滑り落ちたら戻れなくなったのでそのまま崖地を下る事に…そして辿り着いた先はJR中央西線の軌道敷、頑張っても高過ぎるフェンスを越えられないので山際をぐるっと半周して関山公園を目指す。直線距離にして約1.0km、途中から送電線の鉄塔用保安道にぶつかったから何とかなったけど崖地の斜面横移動で疲労困憊、数メートル先の谷側には国道19号線が見えているてのにね…阿保っすわ…
※ 城域内の写真の全ては堀切とか土塁を撮ったものなんだろうけど撮った本人も何なのか判らない。チャクラが開いてないと無理、狼煙台の現在の様子て事で勘弁…
※写真⑦は登山道入口、だ、大丈夫なんか…
※写真⑧は別日に同じ福島城のリア攻めマップにある小丸山城から撮った遠景っす。