義仲館
義仲館([福島城 その他])
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義仲館の口コミ情報
2023年11月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
「夜明け始めるよ♪朝日は昇る♪」…
義仲館は福島城の北東約7.1km、木曽川西岸(右岸)、標高約852mの河岸台地上平場に立地する史料館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。義仲様ファンなら目を瞑っても辿り着ける筈…但し、やらないで下さい。ちなみに義仲館は長野県木曽郡木曽町日義に建つ。新設合併前は日義村、朝日将軍、義仲色で染め上げられた村名だった。そして正に義仲の居館地だった事が当地に建つ理由に他ならない。
義仲館は平成四年(西暦1992年)に開館、令和三年(西暦2021年)にリニューアルオープン、郷土の英雄である義仲様を称え敬う史料館、義仲様ファンなら3回は訪ねて当たり前の施設なのれすっ!義仲愛と巴愛に溢れまくった展示内容!両人への後世のネガティブな評価等を全く受け入れる気が無い程の愛に満ち溢れているっ!
…史料館とは便宜上分類したものの…ありっ?史料が一つも無いや…義仲様や巴御前への想いは理解出来るんだけど、史料館としては正直物足りない。但し、義仲館が決して悪い訳ではなく、これは当人達の事情によるものだ。
源義仲は河内源氏、清和源氏為義流、東宮帯刀先生、源義賢(頼朝の異母兄、源鎌倉悪源太義平にアプリの登録城でもある武蔵国比企郡、大蔵館を襲われ討たれている。)の二男、源頼朝、義経等とは従兄弟に当たる。寿永三年(西暦1184年)一月十五日、征東大将軍にまで登り詰めたが、その六日後には粟津で敗死している。その興隆から滅亡までが一瞬である事から一次史料に恵まれず、「吾妻鑑」、「玉葉」、「源平盛衰記」、「平家物語」等に事跡の大半を頼っている。
つまりは確実な史料が無いに等しいのだ。旗挙げ以前の義仲は文書が必要な人間ではないし、中央の歴史から抹殺されていた人物でもある。上記の書を展示物のメインに据えても仕方ない。義仲館の展示物のあり方については関係者も大いに悩んだところだと思う。
秀逸なのは全国各地に数多く残る義仲関連の伝承、伝説地を纏めた資料群だ。総計約600箇所に及ぶが、それ程までに追慕された人物であった事を理解出来るし、何よりも観光地として個別に紹介される事が当たり前のこれ等物件を丁寧に地域別に纏め上げた事の意義は大きい。義仲は少なくとも民間レベルではその早過ぎる死を惜しまれた人物なのだ。頼朝には特に何も抱かず、義経、義仲に己れの心情を重ねる。勝者ではなく敗者に肩入れする判官贔屓の精神は日本人のDNAに確実に存在する事も自然と知れるだろう。
映像資料も力作だ。義仲の生涯を味のある美しいアニメーションに昇華、LAID-BACKしたHIP-HOPに乗せてRAPで視聴者に語りかける。このトラックが実に素敵、マリンバとかもサンプルされてる解ってる人達の音、制約が多いとはいえ時折韻を踏むLYRICにも唸らされる。貸切状態だったので立て続けに3回も見ちゃいましたわ…
「旭将軍義仲も♪仁科の五郎信盛も♪」…そういえば県歌でありながら「信濃の国」に登場する二人の武士は何れも敗者だ。判官贔屓の精神は長野県人の血に特に色濃く残っているのかもしれない。その土壌は鎌倉時代から近世にかけての争乱の歴史が築き上げたものなんだろうか。
※かずりは武蔵の国の人っす。
※写真①〜③は三脚無しの人力で平衡感覚の限界に挑む真正面からの写真群、たぶんこの3枚を撮るのに20分位時間掛かってるw
※同志の城友さん、スポット登録ありがとう。
2022年04月03日 ほりーないと
木曽義仲の資料館(有料)です。1992年に建設され、2021年7月にリニューアルオープンしました。
義仲館がある木曽町には、木曽義仲居館(旗挙八幡宮)、義仲の義父の中原兼遠居館などがあります。兼遠の娘は巴御前です。木曽町は幼なじみの義仲と巴御前が育った地です。
義仲・巴にまつわる一次史料は限られていますので、600以上の伝承地があるそうです。リニューアル後の義仲館にはパネルタッチの伝承地マップがあります。義仲伝絵巻や巴御前伝説の展示作品があり、すべて撮影OKです。
木曽谷の伝承地については受付の方が丁寧に教えてくれますので、伝承地巡りの前にぜひ行ってみて下さい。
【木曽馬】
義仲軍の時代から武士の馬として使用され、義仲館にその活躍の展示作品があります。義仲館から車で30分程の開田高原に「木曽の里」があり乗馬体験ができます。木曽馬は働く馬なので重いものを乗せて歩く事が大切だそうです。乗馬体験そのものが木曽馬の保存活動に繋がるとのことです。