興禅寺

興禅寺([福島城  寺社・史跡])

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興禅寺の口コミ情報

2023年11月13日 内記かずりヾ(・ε・。)


最近のおいらが城館ばかり訪ねていると思ったら大間違い。個人的な話、近世以前の歴史を調べる上で寺社の存在を無視する事が全く出来なくなっている。宗教施設としての寺社への興味は無いに等しいんだけど、歴史遺産としては興味深々、ましてや既知の武家の開基や創建ともなれば言わずもがな。

おいらにも推し武将てのがいるんすわ。難しい事抜きにしてこの人好きー、みたいな。戦国時代の武将だったら秋山虎繁、真田幸綱、真田昌幸、依田信蕃等々…それ以前の武将だったら何と言っても木曽義仲一択なんす。今回御紹介する興禅寺は義仲様の宝篋印塔が残るお寺さん、かずりは義仲様関連物件は丁寧に廻ってる人なんで訪ねるだけでも感動の嵐、これ等物件に関しては伝承、伝説の類い(99.9%はそうだと思う。)であっても気にしない。好きな人の事なら盲目になれるのだ。むしろ疑う方が間違っちょるっ!この現実主義者の捻くれ者共が〜っ!義仲様と巴御前なら信じ難い事も当たり前に出来るのじゃっ!

…興禅寺は福島城の西南西約0.8km、木曽川西岸(右岸)、黒川南岸(右岸)、標高約784mの河岸台地緩斜面上平場に立地する臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は萬松山、永享六年(西暦1434年)、木曽信道(十二代当主)が木曽義仲の供養のために開基し、鎌倉建長寺五世、円覚大華を招いて開山したと伝わる木曽三大寺の一つ。後背の東西に伸びる山尾根は興禅寺尾根と呼ばれ福島城に通じている。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。義仲様ファンなら目を瞑っても辿り着ける筈…但し、やらないで下さい。

文正元年(西暦1466年)には、木曽家豊(十四代当主)が興禅寺に梵鐘を寄進している。鐘銘には、「壇心離有作々 金匠到無切功 鐘聲廣大 伽藍興隆 群生睡破 利濟無窮 美濃州 慧那郡 木曾庄 萬松山 興禅々寺 住持比丘大壇那 源之朝臣家豊 于時文正元年 丙戌霜月一日」とある。

何言ってんのか知らんけど後世重要となる。即ち、文献上存在が確認出来ない「木曾庄」が登場する事、更には同庄が「美濃州 慧那(恵那)郡」に属しているとの認識が見られる事、藤原姓を名乗っていた木曽氏が突如として「源之朝臣」を称した事である。

木曽は北部の大吉祖荘と南部の小木曾荘、二つの荘園で構成されていた(諸説あり。)と推測される。あえて「木曾庄」としたのは小木曾荘地頭職、真壁氏を逐い、その支配領域が両荘の荘域に及んだ事への自負であろうか(木曽氏は家豊の代には室町幕府からも認められる存在に成長している。)。又、代々通字に「家」を用いてきた木曽氏が「義」を通字とするのは家豊の子、義元(十六代当主)が最初である。

義仲の宝篋印塔の実際は供養塔なんだろう(遺髪が埋物らしいが…)。向かって右側には信道、左側には義康(十八代当主)の墓塔が建っている。墓地には木曽義昌(十九代当主)、木曽家代々の墓石の他、興禅寺を菩提寺とした木曽代官、山村甚兵衛家代々の立派な墓塔が建ち並ぶ。境内には看雲庭と呼ばれる日本最大の枯山水庭園、別に万松庭は江戸時代前期の茶人、金森宗和(重近)の作庭とも伝わる。又、義仲手植えの枝垂れ桜(二代目)が健在、義仲様と巴御前は本当によく木を植えられたり馬の蹄跡を残されたりする方達だが決して疑ってはならない。眉唾だと思うあなたは心が荒んでおるぞよ…

※庭園は見学可能だが金を取られる。

※写真②は勅使門、治承四年(西暦1180年)、謂わゆる以仁王の令旨を源行家がこの門を通り観音堂において義仲に伝えたとされる。城山にあったものを移築したとしているが…何れにせよオリジナルは木曽大火により焼失、現在の門は昭和29年(西暦1954年)に再建されたもの。

※写真⑤は「巴塚の巴松」、本家は富山県南砺市にある。従って移植樹である。

※同志の城友さん、スポット登録ありがとう。

2022年03月16日 ほりーないと


永享6年(1434年)、木曽家十二代信道が木曽義仲の菩提を弔うために創建しました。裏にある城山から義仲の御影観音堂や足利時代の建造物の勅使門なども移してきたといわれています。木曽家代々、福島関所代官山村家代々の菩提寺です。義仲お手植時雨桜(二代目)、日本一広い石庭(有料)などがあります。

観光案内所で教えてもらった福島城の登城コースの駐車場は興禅寺の隣にある御料館(旧帝室林野局)です。私事ですが、天候などのタイミングが合わず福島城をリア攻めしていません。興禅寺の裏が城山です。いつかリア攻めしたいです。

【勅使門】
(興禅寺パンフレットより)
元特別保護建造物(国宝)であったが、昭和2年火災にあい、昭和29年に復元した。
勅使門と称するのは、治承4年(1180年)源行家が以仁王の勅使として、平家追討の令旨を、この門を通り観音堂において義仲に伝えたからである。

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