さんこ山物見
さんこ山物見([妻籠城 周辺城郭])
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さんこ山物見の口コミ情報
2023年10月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
さんこ山物見は妻籠城の西北西約4.6km、木曽川北岸(右岸)、塚野川(坪川)東岸(左岸)、長谷川西岸(右岸)、標高約419mの河岸段丘台地丘陵上平場に立地する物見台です。南麓の岐阜県道・長野県道6号、中津川田立線からの比高は55m位でしょか。但し、東側の舗装路から巻いて登れば比高は約10m、城域までの道もちゃんと付いている。
行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。周辺に目標となるものがありまてん…該地までは道も付いていると書いたが、城域の周囲には実に微妙な高さで電流柵が設置されている。股下120cmのJr.アイドルだから余裕で跨げたけど多くの方にとっては一か八かの高さだと思う。股関節とかに軽い痛みと可動に違和感を感じたままのリア攻めとか絶対嫌でしょ。ちなみに今夏、別物件で城友さんとLINEしながら歩いてたら人生初めての電流柵接触を経験した。一瞬だけど物凄く痛いので二度目は勘弁願いたい…
◯んこ山物見…ヾ(・ε・。)…あ、伏せ字にする必要無かった…かずり心配性だからつい…ほら〜もし皆さんがこれを読んでる間に風とか吹いて「さ」がひらりん♪て舞ってくるりん♪と「ち」になったりしたらどうしようかなと…大事件じゃないの…意外にこう見えて気を遣うタイプの人間なのさ。
築城年代、築城者は不明です。開発主体は木曽氏だろうか。名称と立地から西南方、美濃口を覗く物見台みたいに思えるけど、山陰に入ってしまいその方向への展望は広くない。但し、妻籠方向への展望は優れるので狼煙の中継点としての役割は充分に果たせる。東麓直下には同じ妻籠城のリア攻めマップにある原蔵人佐の屋敷が立地する。
物見台の現況は殆ど地山に近いが、城域は改変でなければしっかりと削平されていたようだ。明確な城郭遺構としては主郭北東側山側背後に堀切が1条確認出来る。最初後世の乗り越しかなとも思ったが、必要とされる場所でもないので遺構であると判断する。縄張図にある腰郭はファジー過ぎる地形となっていてよく判らない。又、主郭には秋葉大権現、愛宕大権現、金毘羅大権現の石碑と小社が鎮座、火伏せの神が祀られる場所は狼煙台の跡との推測も成り立つ。役割を終えた火の見櫓も残されているので、後世、田立村の防災担当を担った丘でもあったようだ。
田立に来ると木曽氏が常に東濃を指向していた理由がよく解る。戦国時代には国境となった訳だけど、木曽谷の谷筋から恵那郡に至る地域が一体であった事を改めて実感する。距離はあれど木曽川を下るだけで岐阜に至る。往時、木曽と東濃は経済圏の一つとして結び付きが強かった事は容易に想像出来る。又、「関ヶ原の戦い」において功を挙げた木曽衆が知行地としたのは木曽谷の内ではなく東濃だった。寛永二年(西暦1625年)の久々利(可児郡)九人衆の内には原図書助(八百石)、原藤兵衛貞武(二百石)の両名が見られるが、田立の野中を知行地とした原蔵人佐との関係性は不明だ。
※写真⑦は妻籠方向への展望、手前には原蔵人佐の屋敷が見える。
※写真⑧は要るのか知らんけど原蔵人佐の屋敷から見た近景っす。