本郷丸山砦

本郷丸山砦([妻籠城  周辺城郭])

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本郷丸山砦の口コミ情報

2023年09月29日 内記かずりヾ(・ε・。)


本郷丸山砦は妻籠城の南方約1.7km、蘭(あららぎ)川西岸(左岸)、西方山塊から張り出す標高約470mの尾根端部上平場に立地する砦です。東麓の蘭川からの比高は35m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている尾根北麓の「御食事処 音吉」を目標に設定して下さい。南側に何となく丸く見える尾根端部を確認したら東麓から直登する。直登箇所の目印は旧の中山道(現在は舗装路っす。)に設けられた切通、藪が最も薄いと思う。この切通は既に城域だけどやっぱし上段まで登らなきゃね。比高は大した事ないので頑張って下さい。

築城年代、築城者は不明、但し、該地には島崎氏の屋敷が構えられていたんだそう。同氏は関東相模三浦氏の一族とされ、島崎重綱の代に木曽義在に仕えたのが木曽谷における同氏の始まりとされるが裏付けは系図のみである。個人的にはこの時代に突拍子も無く木曽氏を選んで仕えた事に疑問を抱くが、義在の時代に相模三浦氏が滅亡したのは事実である。又、弘治元年(西暦1555年)、妻籠に住したとあるが、事実ならば木曽氏の武田氏への服属後の話だろうか。武田氏に重用された山村氏の処遇に準ずるものとの推測も成り立つ。事実、武田氏滅亡後の木曽谷において両氏は概ねで行動を共にしている。

妻籠は「下条由来記」によると、「木曽妻籠殿は木曽の三男なり、」とあり、永正年間(西暦1504年〜1520年)以前の一時期、木曽氏の領分であった。伊那郡下条を本拠とする下条氏は永正年間に下伊那から妻籠へ通じる清内路峠を調略(木曽妻籠家中の原伝左衛門、「…清内路に住居、この者何と心付けしや下条に降参し、下条家を引入れ暫時の間に責め取る、…彼の者の案内にて安々と討取る」)によって押さえ同地の支配に及ぶ。興禅寺文書には、「…馬籠 落合の事は 下条知行の事に候間、牢人共徘徊仕らぬ様申し付候…」とあり、この時期において下条氏が妻籠のみならず東濃の馬籠、落合まで勢力を伸長させていた事が判る。同氏の支配は遠隔地故に継続しなかったようだが、これ以降、妻籠、馬籠の一帯に再び木曽氏の勢力が及んだ事は疑いが無い。当時は木曽氏が木曽谷の支配を完成させた時代でもあり、義在の代には東濃の落合から筑摩郡塩尻へ抜ける木曽谷の道筋(中山道の原型だろうか。)が整備されている。後に同氏は裏木曽のみならず東濃へ勢力を拡大させていく事となる。

この砦の通称2郭と通称3郭には島崎氏の屋敷が構えられていたそうだが、果たして弘治元年以来のものだったのだろうか。天正十二年(西暦1584年)九月の「妻籠城の戦い」において、島崎監物(重道、もしくは長子重長)、同与次右衛門(重次)、同忠左衛門、同彦四郎(重道の四男、美濃国恵那郡岩村住とされる。)の名が確認出来る事から島崎氏が妻籠や馬籠周辺に住していたのは確実なところだろう。後に「関ヶ原の戦い」において徳川氏に尽力した山村氏に従った島崎重道の子等は中山道の宿駅制度成立後にそれぞれ馬籠、妻籠の本陣、問屋となり、妻籠に入ったのは島崎重道の二男、与次右衛門重次とされる。この妻籠島崎氏、もしくはこれに関係する者が何某かの砦跡に新たに屋敷を構えたものと推測するが、この推測だと一族、郎党が居したものとしても妻籠宿内の本陣から離れた位置にあり疑問が発生する。実際は屋敷等ではなく番所の類いだったのではないだろうか。該地は妻籠宿の関門に当たり、宿泊も認められる関宿が整備された大妻籠に含まれる。そうでなければ妻籠宿成立以前の島崎氏の屋敷地を番所として二次利用したものに過ぎないと考える。

砦の現況は…段の付いた削平はしっかりしてるけどそこら辺の裏山っす。竪堀に見える地形は崩落跡だろう。城域下段には旧の中山道が切通を形成、街道を挟んだ東側の微高地が通称1郭だ。信濃のお城の神は此処に木戸が設けられていたと推測している。砦跡の屋敷地は明治末年に島崎氏が全財産を整理した際に最後まで島崎氏に仕えていた郎党の嵯峨氏に贈与されたんだそう。あ、ちなみに最奥部の通称3郭は激藪なんで侵入不可能っす。

砦の名称に「本郷」とあるが、中山道が整備される以前、妻籠の中心地は該地周辺の本郷地名が残る「大島」、「田島」であり、宿駅の妻籠宿はこれ等周辺地域から人家を強制的に集住させて成立したものだ。寛永十九年(西暦1642年)の妻籠村は戸数五十四軒、人口三百三十七人、戦国時代の地侍の有り様も推し量れるだろう。長くなったけど、そうした地侍、在地土豪レベルの砦の話をこの口コミでしている。阿保なんでしょか。

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