愛宕山陣場
愛宕山陣場([妻籠城 周辺城郭])
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愛宕山陣場の口コミ情報
2023年09月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
愛宕山陣場は妻籠城の西方約0.6km、木曽川南岸(左岸)、蘭(あららぎ)川西岸(左岸)、両川合流点に面する標高592mの愛宕山山頂から東方へ伸びる尾根上段、標高約570m地点の平場を中心に立地したとの伝承が残る陣場です。東麓の蘭川からの比高は190m位でしょか。山頂部も縄張に含んでおり、その比高は約210m、陣場としては極めて高所である。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。但し、お山は三方が急崖、唯一南東側にのみ登路が付いている。この登路に至る道筋は北東側で立入禁止、東側では「中村木工所」の敷地を抜けて蘭川の急流に掛かる小さな鉄橋を渡る必要がある。登路は陣場中心地に鎮座する愛宕社への参拝道でもあり、愛宕社は毎年8月24日に執り行われる「妻籠宿の火祭り」の会場の一つでもある。
参拝道でもあると書いたが登路は岩場も含んでいて実にワイルド、僅かな山の弛みを除けば全て急登、迷う事は無いが本当に腹立つわ…ちなみにおいらが前述の鉄橋を渡ろうとするとニホンザル2頭が橋のど真ん中で威嚇しながらお出迎え、「勝負したろかい。」と呟いて傍らの廃角材を掴むと奇声を発して逃げて行く。今日のところは勘弁しといたるわ…
アプリの登録城、妻籠城の城郭基本情報には天正十二年(西暦1584年)九月に繰り広げられた「妻籠城の戦い」の記述(原本は「木曽考」である。)があるが、該地の愛宕山はこの際に徳川方の保科越前守正直(保科氏は信濃の国人領主としては最も成功した氏族だ。)が蘭の間道を抜けて布陣した場所との伝承が残る。愛宕山は妻籠城山よりも高所であり、確かに妻籠城の城内の様子は手に取る様に覗ける。が、武田氏時代の保科氏の軍役は百二十騎、推測するに当時の手勢は千を超えるだろう。この細尾根の狭小な陣場に全てを収容する事は不可能であり、実際は物見のために一部の兵を置いたとするのが相応しいと考える。又、陣場は元々が妻籠城に関係する狼煙台(愛宕社は火伏せの神を祀る。)や物見台の類いであり、保科勢が占拠し物見に利用されたに過ぎないとさえ思える。
城廓遺構としては犬走りが残っていたそうだが、山頂部の平場に付く帯郭状の腰郭様地形の事を言っているのだろうか。又、愛宕社の建つ陣場中心地の削平はしっかりしているが、そもそも論で同社勧進の際のものなのかもしれない。それらしい地形を往時の人工のものと判断する事は出来ず殆ど地山の印象、木曽谷の城砦は地形頼みの縄張が多数を占めるので該地が狼煙台や物見台の類いであった事を否定する事には決してならないが…
保科勢は「妻籠城の戦い」において殿軍を務める事になり、愛宕山の下山に手間取った(下山しても蘭川が障害となる。)同勢は木曽方の広瀬、与川の衆の伏勢を前に多数の討死、手負を出したんだそう。実際に愛宕山を下山すれば誰でも至極当然の結果だと思う筈だ。色物物件ではあるけど戦いの様相を理解した上で臨めば結構楽しめるとは思う。