妻の神土塁

妻の神土塁([妻籠城  周辺城郭])

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妻の神土塁の口コミ情報

2023年09月20日 内記かずりヾ(・ε・。)


妻の神土塁は妻籠城の東南東約0.6km、標高1030.8mの山塊山頂から北北西に伸びる尾根端部上、標高約513m地点の緩斜面上平場に立地する土塁遺構です。西麓の中山道からの比高は45m位でしょか。この山尾根を標高672.4mの三角点まで登ると妻籠古城に至る。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。但し、妻籠城の周辺は空地が少ないし、特に中山道は観光客の往来が結構あるので雰囲気的にも車の捨て場所に困ってしまう。ここは素直に諦めて妻籠宿の駐車場を利用して徒歩で該地を目指すのが正解だと思う。大した距離でもないしね。取り付きは南麓に建つ一般住宅上段の舗装路からで、尾根上に建つ送電線鉄塔に至る保安道が付いているのでこれを辿る。目印は「大桑 No.57」と書かれた小さな標識だ。この時期だと入るのに少し躊躇するけど道筋ははっきりしている。鉄塔にぶつかったら右手へ進めば該地だが鉄塔周辺にも土塁の残滓が確認出来る。

盛られた年代、盛った方は不明、てかそもそも論でこれがいつの時代に何のために盛られたものなのかさえ判らない…妻籠城の説明板では単純に妻籠城の一角としているが城廓遺構としての体を成していない。かと言って陣城の類、後世の猪鹿垣や防火塁、耕作に伴うものでない事は明白で単純な直線土塁だけには終わっていない。信濃のお城の神も頭を悩ませていらっしゃる…

どうにも妻籠城と中山道をメインに考えるから失敗するようにも思う。律令制下で設けられた東山道支道、「木曽古道(岐蘇山道、もしくは吉蘇路)」は道筋が推測の域を出ないが、推定図を見ると妻籠城の周辺では丁度この妻の神土塁付近を通っている。土塁は概ねで東西に伸びる南北に対する長大なもので道行く者にとっての障壁となる(但し、悩ましい事に土塁は明らかに北向きである。)。この土塁が古い時代の何かしらの遺構であるならば、中山道開通以前の木曽古道、もしくはそれに準ずる道筋に設けられた番所に付随するものと考えても決して飛躍ではないと思う。

妻籠て今は紛れもなく長野県すよね?が、古くは妻籠を含む小木曾荘(遠山荘との境目は馬籠峠、地頭職は美濃真壁氏、常陸真壁氏の一族、遠山荘の加藤氏と縁戚関係にあった。)は美濃国に属しており、信濃国筑摩郡の一部となったのは中世後期以降と考えられている。度々両国の境目争いが発生するグレーゾーンな土地柄、支配層の変遷も当然影響している。美濃守護、土岐美濃守持益は、永享四年(西暦1432年)九月廿九日、室町幕府から以下の「御前落居奉書」を受けている。即ち、「七間御厩御材木事、妻籠兵庫助申付之、不日可被召進之由所被仰下也、仍執達如件、」とあり、妻籠兵庫助は美濃守護である土岐持益を通じて七間御厩(馬屋)の材木を進じるよう指図を受けている。少なくとも妻籠は当時の認識では美濃国の内にあり、木曽氏の勢力が及ぶのは文書上においては天文二年(西暦1533年)、京都醍醐寺理性院厳助僧正の「信州下向日記」を待たなければならない。現長野県知事は木曽氏に感謝すべきだろう。

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