左近右屋敷

左近右屋敷([妻籠城  周辺城郭])

妻籠城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「左近右屋敷」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

左近右屋敷の口コミ情報

2023年09月14日 内記かずりヾ(・ε・。)


左近右屋敷は妻籠城南東麓、標高約462mの山間鞍部上平場に立地した屋敷です。該地は妻籠城大手曲輪の東側直下でもある。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。但し、位置は少しだけ南西にずれています。ちなみに屋敷跡には後世、「しろやま茶屋」と称する茶屋が営まれていたが今は廃屋となっている。妻籠城を訪ねた事がある方なら必ず見ている筈…

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは妻籠城の城番、杉村左近右衛門と伝えられているんだそう。同名の詳細は不明だが、島崎氏(文人の島崎藤村は馬籠島崎氏を出自とする。)の郎党と推測される。杉村氏は後に吾妻村(新設合併により廃村)の村長を務めた事もあったそうで、戦国時代には地侍、江戸時代には庄屋、この土地の有力者であった事は間違い無い。天正十四年(西暦1586年)三月四日、関白秀吉と誼みを通じるために上洛した小笠原氏被官、倉科七郎左衛門朝軌が馬籠下り谷で地侍に襲われた際にはその一味だったろう。事は伝承として南木曽の主だった各家に伝えられているが、極近年まで他言無用のタブーだったんだそう(与川の平尾さんのお話…突然のお宅訪問、面白いお話を聞かせてくれた上に色々御馳走までしてくれてありがとう。)。

近世の中山道沿いに立地するが、妻籠城の在りし時代に同街道は存在しない。往時の松本平から東濃に至る道筋は律令制下に設けられた東山道支道、「木曽古道(岐蘇山道、もしくは吉蘇路)」に準じたものと推測され、妻籠城の周辺では中山道よりもやや東側、やや上段を通り南行して馬籠峠に至る。木曽古道は全体として概ねで山塊中腹の高所を通り、現代人の感覚では俄かに信じ難い命懸けのルートだ。木曽川の影響を受け易い谷筋を避け、木曽川に流れ込む大小河川の渡渉(道行く者にとっては何よりの関心事…)を川幅の狭い上流域に求めたのがその理由だと考察されている。

城山茶屋の廃屋を撮影中、外国人から何を撮っているのかと英語で話掛けられた。帰国子女でもあるJr.アイドルのおいらは流暢な英語で答えてみる…

かずり「THIS IS OLD CAFE HOUSE RUIN AND ABOUT 500 YEARS AGO SAMURAI'S HOUSE CALLED "NEAR LEFT'S RIGHT HOUSE".」

外人「なるほど…そうだったのね。あなたってただの男前かと思ったら頭も凄く良いのね!」

かずり「YEAH! THAT'S RIGHT! I AM FAMOUSE UNIVERSITY'S PROFESSOR.」

外人「神は時として二物を与えるものなのね!」

※会話の内容は誇張が含まれています。

…頼むから日本に来たんだから日本語で話し掛けてくれ…

しかし、外国人観光客がインバウンドで日本のディープな場所を求めているてのは本当の話だったさ〜中山道を歩いているのは本当に外国人ばかり…日本人なんて1人も見掛けなかったぜ。はるばる観光旅行に来て南木曽〜野尻間を歩くなんてハード過ぎるなとも思うけど何だか嬉しくもあったりする。

あ、忘れてた…左近右屋敷の事なんだけど、名称から妻籠城の大手筋の向かって右側に位置するからそう呼ばれるのかと当然思うじゃないすか?でも違うんすわ…どうやら屋敷の主とされる杉村左近右衛門の「衛門」が省略されているだけの話みたい。現地で左屋敷も存在するのかと真剣に考えてたし、もしかしたらそれは右近の左屋敷?なのか?とも思ってた。日本語て難しいすね。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore