十二兼砦(袖山)

十二兼砦(袖山)([妻籠城  周辺城郭])

妻籠城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「十二兼砦(袖山)」の地図・口コミがご覧頂けます。

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十二兼砦(袖山)の口コミ情報

2023年11月25日 内記かずりヾ(・ε・。)


十二兼砦(袖山)は妻籠城の北北東約7.6km、木曽川東岸(左岸)、標高897mの袖山山頂から北西へ伸びる尾根端部上、標高約584m地点に立地する砦か狼煙台か物見台の類いです。西麓の国道19号線からの比高は105m位でしょか。木曽川に流れ込む熊の沢と八人石沢に南北を挟まれた山尾根の張り出しを登ると該地だ。

行き方は…びっくりする事にGoogleマップに「熊野権現社跡(十二兼砦跡)」の名称で位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。お城の東側に巻いて出る林道も通っています。車を大事にしない方なら楽勝、謂わゆる色物物件なんすけど苦労しないのでこれなら許せる筈…

築城年代、築城者は不明、信濃のお城の神は地元郷土史家の提言する推測地を調査したようだ。近在の方も該地に砦が存在したとの認識は無く、各町村誌にも記載が無い。

三留野木曽氏と野尻木曽氏の私戦に伴うものとしているが、どうにもこの郷土史家に振り回されている気がしてならない。十二兼の地名の由来は、「セ(狭)ニ(土地)カ(崖地)ネ(尾根)」が訛ったのを好ましい表記に変えたもの。谷筋の斜面の僅かな狭小な平場に家屋が点在する。集落の存在を窺わせるような地名も特に残っていない事から往時は無人に等しかったろう。ただでさえまともな城砦が少ない木曽谷において私戦に伴って砦を築く事も考え難く、実際にこの山尾根が利用された事実があったとしても軍勢を留めた単なる場所に過ぎないんだろう。

狼煙台、物見台の位置としても不適当だと思う。高度も低く谷筋からは奥まった位置にあり展望は遮られる。唯一、北東後背の「城山」に位置する同じ妻籠城のリア攻めマップにある野尻城(天王洞)を見通せるが、仮に狼煙の中継点としても存在理由が希薄である。

初っ端からネガティブな事書いた砦の現況は…殆ど地山、てか地山だよ。人工の跡は何一つ見出せない。過去には耕作されていた可能性も当然あるが削平されていたとも思えない。縄張図に描かれるランドマーク、八幡社の小祠は見付ける事が出来なかった。信濃のお城の神の著述によれば、古くは熊野権現の小社が鎮座していたとも。又、該地からの南西尾根を下ると見事な古い石積みで土留めされた数段の耕作地跡が確認出来る。正直、こっちの方がよっぽど城跡っぽい。城郭遺構は皆無であり、近所の裏山の一番高い所に登ってみたらこんな感じだった…としか言い様が無い。

該地周辺は木曽川東岸(左岸)の山塊中段を通る律令制下で設けられた東山道支道、「木曽古道(岐蘇山道、もしくは吉蘇路)」が谷筋から最も離れる場所でもある。近世に入ると十二兼砦の西方下段には中山道が通るが、遠回りになるとはいえ三留野宿、野尻宿間は峠越えの迂回路である与川道が好まれている。木曽川沿いを通る「羅天の桟」は中山道最大の難所の一つであり、蛇抜(土石流)や木曽川の氾濫によって流出する事度々であった。木曽谷の中でも街道の恩恵を受ける事が特に少ない地域でもあった。

結構寂しい所なんすけど、木曽川の対岸には柿其渓谷て素敵な場所があるんです。阿寺ブルーで有名な阿寺渓谷には遠く及ばないらしいが、「牛ヶ滝」や「ねじだる」ていう観光名所も抱えていて今回はそっちがメインの旅だった。が、晴天から冷たい雨に天候は急変、残念無念のかずりであった…

※写真⑤の付近に八幡社が鎮座している筈だが…

※写真⑥、⑦は耕作地の跡っす。

※写真⑧は登城中に林道から撮影した色物物件、同じ妻籠城のリア攻めマップにある柿其中山の物見の遠景、この山稜の尾根稜線上に5箇所の推測地がある。縦走探索する事約4時間、口コミは面倒なんで気が向いたら。

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