越坂の物見

越坂の物見([妻籠城  周辺城郭])

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越坂の物見の口コミ情報

2023年12月01日 内記かずりヾ(・ε・。)


越坂の物見は妻籠城の北北東約14.8km、木曽川南岸(左岸)、標高911mの山塊山頂から西方へ伸びる尾根中段、標高約736m地点の平場に立地したと推測される狼煙台か物見台の類いです。北麓の国道19号線からの比高は190m位でしょか。須原と越坂集落を結ぶ乗り越しの舗装道路東側の山尾根を登ると該地に至り、西側の山陵を登ると同じ妻籠城のリア攻めマップにある須原城に至る。両者間の距離は約0.6km、至近で舗装道路を東西に挟んで相対する。

行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。周辺に目標となるものがありまてん…城域南側直下には林道が東西に伸びており、単純に比高を稼いだ後、この林道から該地へ向けて直登しようとしたけど激藪過ぎて取り付く事が出来ない。結果としては随分と林道を戻って藪の最も薄い場所を選び尾根稜線上までを直登した。薄いと言っても激藪である事に変わり無く、かなりの無理をしてよじ登ったので推奨出来ない。距離はあるけど単純に乗り越しの舗装道路から尾根末端部に取り付いた方が遥かに楽かもしれない。

築城年代は不明、築城者は木曽氏になるんだろうか。大体にして史料、伝承等無く色物物件、推測地である。「信濃の山城と館7、安曇・木曽編」に掲載があるが、著述からは信濃のお城の神が何を根拠として何故この場所を調査したのかもよく解らない。文中の言葉を借りれば、「…旧陸軍でこの山を調査したという話があるがその意図・結果等については不明である。ただ地元に物見があったのではないかという漠然とした想像がある。」て事になる。ここは漠然とした想像のみで調査した神を崇めるべきなんだろうか…それとも信者にのみ与えられる試練なのだろうか…

直登して大量の枯葉をアウターのフードに詰め込んだおいらだったけど、尾根稜線上は意外にもすっきりしていて一安心、乗り越しの道なんかも付いておりごく最近まで人の入るお山ではあったようだ。尾根は所々で土橋状の痩せ尾根を形成していて淡い期待も膨らむ…

…該地に辿り着いてはみたけど、なんじゃこりゃ…尾根稜線上下段にはこの山陵としてはびっくりするぐらいの面積を持つ平場が見られるけど殆ど地山、てか地山だよ。平場は後世の植林場か何かだろうか。これが往時のものなら逃げ込み城ぽくもある。でもまぁ違うやろ…狼煙台か物見台の類いとしても存在理由は希薄、大体にして眺めが悪いのは樹木が生い繁っているせいだけじゃない筈…又、旧軍が中世の城館跡として該地を調査する必要がある訳無い。高射砲陣地や探照灯、防空監視哨を置くような場所(小さな発電所以外に木曽を爆撃する理由も無いだろう。事実、木曽郡は空襲の惨禍から逃れている。)でもないと思うので謎でしかない…ちなみに信濃のお城の神が描いた縄張図はやる気の無さしか感じられない。

…ネガティブな事書きまくり…でも痩せ尾根は楽しかった。もし何かしらの城砦が存在していたとすれば該地から尾根を下った標高約673m地点や標高約641m地点ではないだろうか。ちなみに木曽の城砦で鍛えられたおいらの眼は玉葱と白菜、茄子と人参の違いが判らないぐらいの優しさに成長している(野菜の部分には何を当てはめて頂いても結構です。)。

※ 戦時中の木曽郡には防空監視哨十三番福島が現在の木曽郡木曽町福島の関山公園下段(福島城のリア攻めマップにある上之段城の位置だろうか。)に設けられていた。米軍航空機が上空を飛行していなかった訳ではない。

※写真①、②は登城中、⑦、⑧は下山中の光景っす。

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