三留野東山城
三留野東山城([妻籠城 周辺城郭])
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三留野東山城の口コミ情報
2023年10月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
三留野東山城(三留野城・東山)は妻籠城の北東約3.1km、木曽川東岸(左岸)、東方山塊から西方へ張り出す標高542mの尾根端部ピーク上平場に立地する要害です。西麓の等覚寺からの比高は85m位でしょか。東方山塊とは鞍部を介しており事実上の独立山稜となっている。
行き方はGoogleマップに位置登録されている「東山公園」を目標に設定して下さい。この公園が該地です。但し、これを公園と定義してよいのかは甚だ疑問、山頂の削平地に石碑を建ててベンチを置いただけの簡素極まりない場所…展望も僅かなんで悪しからず…
築城年代、築城者は不明、立地からすると西麓に住した三留野の支配層の要害て事になる。三留野に住した地頭職、三留野を知行した者については同じ妻籠城のリア攻めマップにある三留野家範居館とヤダカをそれぞれ参照して下さい。お城は山頂部を削平しただけの要害であり、縄張からある程度の時代を推測する事すら難しい。
時代の振れ幅が大きい事から歴史的背景も知れず、地形的にも殆ど地山、訪ねてみれば実際に城館だったのかも疑わしい。遺構が見当たらないのは後世の公園化に伴う改変ではなく、そもそもが山頂を削平するだけに留まった縄張だったのだろう。木曽氏の南方からの狼煙台ネットワークの一つかなとも思ったけど、こちらの役割は同じ妻籠城のリア攻めマップにある三留野愛宕山城に譲ると考える。久々に厳しい物件にぶつかった気がする。縄張に含まれるのか知らんけど、山稜下段に鎮座する東山神社の方がよっぽどそれらしい佇まいがある。要害としての緊張感を見出せず、現況から心に感じるものが何も無い。但し、木曽谷の地侍や在地土豪の築く要害がこれで充分だったと言えるのも事実、根本的に木曽氏や木曽谷の諸氏は外勢を籠城してやり過ごす考えは持たず、険阻な峠や山中の道筋で防ぐのが守勢の方針だったようにさえ思う。
該地がただの田畑や地山であっても何かしらの楽しみ方を見付けて後悔しないようリア攻めしているが時には行き詰まるよな物件にも出くわす。せめて何かしらの城歴を知れたらお城の見方も変わるだろうに…「長野県町村誌」の「御殿」の項における三留野周辺の城館の記述は伝承を繋げて話をややこしくしているだけだし、現地に立つ説明板の記述もどこか不安気だったりする。
※写真①は別日に撮った遠景、山稜の南側を梨子沢が音を立てて流れる。