春日城(野口城)
春日城(野口城)([福与城 周辺城郭])
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春日城(野口城)の口コミ情報
2024年10月15日 RED副将軍
二重堀切が見事な詳細不明の城跡🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
伊那市には複数の春日城が存在します。今回は手良野口の春日城なのでご注意下さい。
築城年代や築城主等の詳細不詳。
「1241年に野口甚吾が西山に城を築いて三の郭に野口氏の祝殿である春日社を城の守り神として祀ったことから春日城と呼ばれるようになった」と内務省神社局の報告書にある様です。
北西山麓に小松氏の登内城があるため小松氏の詰城とも、武田信玄と福与城に籠城して戦った伊那衆の中に野口氏があることからその関係性も指摘されています。
見所
野口八幡神社の北側背後の標高838mの城山に築かれています。
山頂に土塁囲みの主郭を置き、北西、東、南へ伸びた尾根は堀切で遮断。東と南の堀切は横堀状に繋がっています。
特に北尾根は大規模で二重堀切となっています。南尾根は小規模な段郭群が連なり、東、南、南東の各支尾根も堀切で遮断されています。南側は東尾根の二重堀切が大規模で残存度も高いです。
行き方は、城域東側に案内板が出ており車で城域まで行くことが出来ます。未舗装ですが広い駐車スペースもあります。
木々が伐採されており遺構が見やすくなっていますが、伐採のし過ぎで風化の進行と土砂崩れを心配してしまいました。
2024年03月03日 ほりーないと
春日城(野口城)の説明板に「尾根伝いに福与城に至ることからその支城であったともいわれる」と書かれているとおり、箕輪町の福与城の周辺城郭として登録されています。福与城から高遠城への道筋(美篶箕輪線)に位置します。
伊那市には「春日城」と呼ばれる城が複数あり、春日公園(春日城)とは違いますので、ご注意下さい。
木々が伐採されてスッキリした「行けばわかる城」です。初めて登城した時は驚きました。2回目の登城には城友様2人をお誘いしました。城域は意外と広く、その前のリア攻め疲れもあり、主郭のベンチに座って一人休憩。城友様たちはどこへ行ったのか…探さなくても、主郭からすぐに見つける事ができました。
城主・築城の年代はわかっていません。武田氏の侵入時も、その後も、伊那谷を守ろうと必死だったと想像します。
2023年04月03日 サスケ左近衛少将[黒色槍騎兵]
春日城は伊奈の豪族、伊那部大和守重慶の居城です。重慶の孫、伊那部重親の代に武田信玄に背き、鎮圧されてからは高遠城の支城として整備されました。その後、1582年(天正10年)、織田信長の軍勢が信濃に侵攻すると、本城の高遠城とともに攻撃を受け落城しました。現在城址は春日公園(春日城址公園)として整備されており、高遠城と並ぶ県内有数の桜の名所として知られています