鬼小島弥太郎の墓
鬼小島弥太郎の墓([飯山城 寺社・史跡])
飯山城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:寺社・史跡)、「鬼小島弥太郎の墓」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
鬼小島弥太郎の墓の口コミ情報
2025年08月26日 尼崎城信濃守一口城主
北飯山駅から飯山城を目指そうとしたところ、北飯山駅前のMAPで鬼小島弥太郎の墓🪦という表記を見つけ、どこかで聞いたことのある名前だなぁと思い、本アプリの家臣団を確認すると家臣団の中にいらっしゃったので飯山城登城前にお参りに向かいました。飯山市内はお寺の多い町で随所にお寺の道標(写真①)がありお墓のある英岩寺までは迷わず辿り着けました。本堂前に鬼小島弥太郎の墓220m(写真②)の道標があり、矢印に沿って進みますが写真③の岐路でどの道を選択するかがキーポイントでした💦写真③右側に見える石段を上がるのは🙅🏻♂️で、石段を上がる手前にお墓とお墓の間の道があるのでその道(自称、中段の道)を進めば写真④の道標が見えてきます。※私は写真③の左側の道(自称、下段の道)を進み迷いかけましたが偶々お墓参りに来られていた方がいらっしゃって、鬼小島さんのお墓の場所を尋ねて下段の道から中段の道に上がり無事に辿り着けました😅中段の道を進むとお墓に辿り着く前に第二の岐路(写真⑤)があり、こちらは写真⑤右側の緩やかな登り道を進むのが正解でした。※私は写真⑤左の枕木のある方に進んでしまいましたが幸い藪の隙間からお墓の説明板🪧がちらっと見えたので写真⑤の岐路に引き返し無事に辿り着けました。
お墓周りは写真⑥の通りで説明板(写真⑦)と説明板右下の墓石(写真⑧)が鬼小島弥太郎のお墓🪦でした。墓石の花立てのやや上の方に太郎之墓と刻まれた字が読み取れました。説明板を読むと井伊の赤鬼の異名のように鬼(武勇に優れた)+小島で鬼小島と称されたようです。
説明板の中盤に出てくる安田の渡しの舞台は千曲川に架かる綱切橋で、新町交差点付近には<綱切の碑>があるようです。(※当日は飯山宿泊で宿の女将さんに解説してもらいました‼️)
2021年12月28日 内記かずりヾ(・ε・。)
鬼小島弥太郎の墓は飯山城の北西約0.7km、千曲川に注ぐ皿川北岸(左岸)、標高約320mの平野部平場に位置する英岩寺境内に設けられた墓地北端部に建つお墓です。
行き方は英岩寺がGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。
上杉ファンの皆様、お待たせしました。そうこれが越後十七将の一人、伝説の勇士、鬼小島弥太郎こと小島貞興(勝忠とも一忠とも。通称は慶之助とも。)のお墓らしいです。伝説の類いを一切合切否定する向きのある浪漫のかけらも無い自分ですが、ここはあえて紹介するとしましょう!
鬼小島弥太郎伝説て言えば…
足利義輝が飼っていた大猿を懲らしめた!→武田信玄に使いした際に、信玄がけしかけた猛犬を打ち殺した!→川中島の戦いの際、山県昌景と一騎討ちの最中に武田義信が危機に陥り、昌景が「主君の御曹司の窮地を助けんが為、勝負を預けたい。」とお願いしたところこれを快諾した!→この事から山県昌景から「花も実もある勇士」と称賛された!→川中島の戦いから退く際に深手を負っていた為、主君の足手まといになる事を憚り潔く自害した!
…色々なエピソードを持つ弥太郎ですが、上杉家の軍役帳にその名が見られず、実在は相当に怪しい…ただ小島姓は上杉氏家中においてよく見られる姓であるらしく、アプリ登録城である新潟県長岡市に存する乙吉城主だったとの伝承があるらしいっすね。SLGだと政治5、武力95位でしょか、実に潔い脳筋キャラクターです。
おかしな伝説のみで語られるから実在も逆に疑われると思うんすけど、小島姓が上杉氏家中によく見られる姓ならば、小島姓を名乗る越後国古志郡辺りに所領を持つ土豪の子弟が上杉謙信に近待していたと想像すれば自然じゃないでしょか。裏付けされるものは出て来ないと思いますけど、火の無い所に煙は立たないのでそれに比定出来るような人物の存在はあったのでは?と考えられると思います。
お墓は文禄四年(西暦1595年)に建立されたものらしいですが、墓石て言うかただの大石が置かれているだけです。ちなみに弥太郎最後の地は英岩寺北西約0.9kmの小佐原らしいっすね。又、お墓は墓地の北端てよりは墓地の外れに建っているので探す時は注意して下さいまし。訪問時間1分位、これ書くのに1時間位…阿保なんでしょか。