鬼小島弥太郎の墓
鬼小島弥太郎の墓([飯山城 寺社・史跡])
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鬼小島弥太郎の墓の口コミ情報
2021年12月28日 内記かずりヾ(・ε・。)
鬼小島弥太郎の墓は飯山城の北西約0.7km、千曲川に注ぐ皿川北岸(左岸)、標高約320mの平野部平場に位置する英岩寺境内に設けられた墓地北端部に建つお墓です。
行き方は英岩寺がGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。
上杉ファンの皆様、お待たせしました。そうこれが越後十七将の一人、伝説の勇士、鬼小島弥太郎こと小島貞興(勝忠とも一忠とも。通称は慶之助とも。)のお墓らしいです。伝説の類いを一切合切否定する向きのある浪漫のかけらも無い自分ですが、ここはあえて紹介するとしましょう!
鬼小島弥太郎伝説て言えば…
足利義輝が飼っていた大猿を懲らしめた!→武田信玄に使いした際に、信玄がけしかけた猛犬を打ち殺した!→川中島の戦いの際、山県昌景と一騎討ちの最中に武田義信が危機に陥り、昌景が「主君の御曹司の窮地を助けんが為、勝負を預けたい。」とお願いしたところこれを快諾した!→この事から山県昌景から「花も実もある勇士」と称賛された!→川中島の戦いから退く際に深手を負っていた為、主君の足手まといになる事を憚り潔く自害した!
…色々なエピソードを持つ弥太郎ですが、上杉家の軍役帳にその名が見られず、実在は相当に怪しい…ただ小島姓は上杉氏家中においてよく見られる姓であるらしく、アプリ登録城である新潟県長岡市に存する乙吉城主だったとの伝承があるらしいっすね。SLGだと政治5、武力95位でしょか、実に潔い脳筋キャラクターです。
おかしな伝説のみで語られるから実在も逆に疑われると思うんすけど、小島姓が上杉氏家中によく見られる姓ならば、小島姓を名乗る越後国古志郡辺りに所領を持つ土豪の子弟が上杉謙信に近待していたと想像すれば自然じゃないでしょか。裏付けされるものは出て来ないと思いますけど、火の無い所に煙は立たないのでそれに比定出来るような人物の存在はあったのでは?と考えられると思います。
お墓は文禄四年(西暦1595年)に建立されたものらしいですが、墓石て言うかただの大石が置かれているだけです。ちなみに弥太郎最後の地は英岩寺北西約0.9kmの小佐原らしいっすね。又、お墓は墓地の北端てよりは墓地の外れに建っているので探す時は注意して下さいまし。訪問時間1分位、これ書くのに1時間位…阿保なんでしょか。