六郎別当屋敷

六郎別当屋敷([飯山城  周辺城郭])

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六郎別当屋敷の口コミ情報

2021年12月22日 内記かずりヾ(・ε・。)


たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

六郎別当屋敷は飯山城の北西約5.5km、標高約938.4mの黒岩山東麓、標高約424mの緩斜面上平場に存した居館です。

行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。こんなんマップコード以外で上手く説明出来ませんわ…ただ長野県道411号線・新潟県道412号線、飯山新井線沿いで、かつての信濃平スキー場のリフト乗降場の一つ、その東側に位置します。

築かれた年代は不明ですが、お住まいになられていたのは六郎別当です。長野県町村誌には「古宅跡」で記載があるらしく、寿永年間(西暦1182年〜1184年)に戦乱を避けてこの地に居を構えた隠士の屋敷なんだそうです。寿永年間の出来事と言えば、木曽義仲の入京から没落、敗死までの一連の流れがそっくりそのまま入ります。寿永の元号の宣旨自体複雑な事情を汲んでいてまぁ面倒な時代だったとは思うんですが、ドラマティックな激動の時代だったとも言えるんでしょう。

居館の主、六郎別当についても何一つ不明(隠士だしね。)でして、考えてみりゃその姓さえ不明じゃないすか…別当(何の別当かは知らんけど。)の地位に就いていた事は間違い無いんでしょうからある程度の人物だったとは思いますが、六郎に比定出来る人物も多いでしょうし結局のところ何が何だかよく判らねぃよて感じですかね。何れにせよ義仲による一連の争乱が遠因だとは想像出来ます。

付近にある2つの清水の位置から概ねの場所は特定されていますが、耕作放棄地である事以外に何かを見出す事は凄く難しい…付近は雪崩が頻発する場所ですが屋敷に到達する事は一度も無かったそうです。有徳者の持つ恩恵てやつなんでしょかね。ちなみに写真を見て何らかを想像出来たり見えたりするよて方は一度病院で検査を受ける事をお勧めします。病名はきっと「変態」、程度は重症、救えるのは御家族だけだと思います。

自分は写真を撮りましたが、自分が居館跡を確認したていう「記録」としてしか今でも見る事が出来ないのでまだまだ大丈夫なようです。いつの日か屋敷で寛ぐ隠士の姿が見えるようになるのでしょうか。ちなみにリア攻め時間は1分位ですが、これ書くのに1時間30分位掛かりました。阿保なんでしょか。

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