中条城・累城(城山)
中条城・累城(城山)([飯山城 周辺城郭])
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中条城・累城(城山)の口コミ情報
2021年12月20日 内記かずりヾ(・ε・。)
AWESOME!!!
中条城・累城(城山)は飯山城の北西約4.6km、標高938.4mの黒岩山の一支脈から南東へ延びる山塊尾根上、標高約429mのピークの一つに主郭が存します。東麓の長野県道409号線、曽根藤ノ木線からの比高は100m位でしょか。
行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。こんなんマップコード以外で上手く説明出来ませんわ…お城の南東麓には一般住宅(入城の屋号で呼ばれる。)が建っていて、この民家の敷地内から取り付くのが一般的?登り始めれば直ぐに城域に入ります。ちなみにこのお宅の姓は築城者と同じ…上杉氏の会津移封に従わず帰農した一族もあったようですね。
2in1のお城っす。中条城の築城年代は文明年間(西暦1469年〜1487年)、築城者は尾崎信濃介政重の弟、今清水越中守重継と伝わります。累城の築城年代も文明年間、築城者は中曽根左衛門尉重道と伝わります。二人は兄弟なんだそうですね。
中条城と累城(かさねじょう)は別々に築かれたとされるお城ですが、事実上縄張を共有していて要害としては最終的に一つのお城として機能していたようです。今清水重継と中曽根重道は兄弟和せず相争いましたが、重道は後に同じ飯山城のリア攻めマップにある中小屋城に退去しました。
お城は大変素晴らしい。細かな事は省きますが、原始に立ち戻ってる山城が多い飯山では現況最も見れるお城の一つです。少しの藪漕ぎは必要ですし、高い切岸を登るのに難儀したりしますけど…お城は通称1郭から通称9郭までの郭で概ね構成されており、通称1郭北側山側背後の四重堀切にはきっと誰でも驚かされるでしょう。特に3条目の堀切は曲げを伴って山を下り、他の2条の堀切はそこへ落ち込んでいたりして極めて技巧的です。又、累城の城域はこの四重堀切の北側山側背後となりますが、こちらも三重堀切で北側山側背後をぶった斬っています。
永禄年間(西暦1558年〜1570年)頃には上杉氏方の要害として重要視されていたと思います。お城は改修と拡張を重ねたのでしょう、二つのお城は見事なまでに纏まりのよい一つのお城に相成りました。飯山城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。
※一般住宅の家人(凄く親切です。)に「熊さんに会わないとよいね〜」と注意を受けました。集落の裏山とはいえそういう場所ではあります。