顔戸館(館の内)
顔戸館(館の内)([飯山城 周辺城郭])
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顔戸館(館の内)の口コミ情報
2021年12月14日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
顔戸館(館の内)は飯山城の北方約5.5km、標高約341mの平野部緩斜面上平場に存した居館です。ちなみに「ごうどやかた」と読むんですが、現地入りするまでは「かおとやかた」と読んでました…
行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。こんなんマップコード以外で上手く説明出来ませんわ…
築かれた年代は永正年間(西暦1504年〜1520年)、お住まいになられていたのは顔戸氏です。十五世紀、泉親衡の後裔を称した泉重治は尾崎八家と呼ばれる上倉氏、今清水氏、上境氏、大滝氏、中曽根氏、岩井氏(岩井信能で有名?かな。)、奈良沢氏を輩出(血縁関係の分家ではなく地縁の繋がりとも。)しましたが、その内の奈良沢氏、奈良沢重直の二男、勘解由重胤が顔戸の地に入り地名を取って顔戸氏を称しました。同氏は永禄年間頃に上杉氏の被官となり、当時の飯山一帯の国人領主を総した外様十人衆の一つに数えられています。又、重胤の子、帯刀重敏は上杉景勝に仕えて後の会津移封に従い信濃の地を去りました。
居館は現況ぴったり3枚の水田となっています。北西辺を除いてコの字形に空堀が巡る所謂単郭方形の縄張だったようですが、信濃に存した居館跡としては個人的になんか好き…w切岸がちゃんと残っていて居館と周囲の隔たりが生きてるし、居館から眺める風景もどことなく雄大(まぁ水田地帯だしね。)で「おいらが領主様じゃっ!」感に浸れたりも出来ます。又、空堀跡は当然埋まっていますが、その堀形は今でも十分追えると思います。
3枚の水田は居館の縄張をそのまま活用している事になります。ある意味凄く判り易いので、普段は居館に一つも興味を持てない方も是非訪ねてみて下さいまし。