中小屋城(中曽根城)

中小屋城(中曽根城)([飯山城  周辺城郭])

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中小屋城(中曽根城)の口コミ情報

2021年12月15日 内記かずりヾ(・ε・。)


中小屋城(中曽根城)は飯山城の北西約4.9km、標高938.4mの黒岩山の一支脈、標高約428mの山塊ピークの一つに主郭が存します。東麓の長野県道409号線、曽根藤ノ木線からの比高は115m位でしょか。

行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。こんなんマップコード以外で上手く説明出来ませんわ…ただお城までは林道が延びていますので楽に行けるとは思います。

築城年代は文明年間(西暦1469年〜1487年)とされ、築城者は中曽根氏、中曽根重道とされています。十五世紀、泉親衡の後裔を称した泉重治は尾崎八家と呼ばれる上倉氏、今清水氏、上境氏、大滝氏、中曽根氏、岩井氏(岩井信能で有名?かな。)、奈良沢氏を輩出(血縁関係の分家ではなく地縁の繋がりとも。)しましたがその内の一氏となります。同氏は蔵人道秋の代に上杉氏の被官となり、道秋は飯山城の番将の一人となりました。永禄六年(西暦1563年)の武田氏による飯山城の一時的失陥の際には上杉謙信に怒られまくった事でしょう。

お城は正に在地土豪の詰城の趣きです。東麓には同じ飯山城のリア攻めマップにある中曽根館と呼ばれる居館の存在が確認されているのでその関係性も理解出来ると思います。縄張は通称1郭から通称3郭までの三段の削平地で概ね構成されており主郭も三段の段付き、主郭は土塁付きで曲げを伴う大堀切で西側山側背後をぶった斬り、堀切を越えて更に西側へ進むと小郭を経て長めの細土橋で山側と連絡、ひょろ〜て感じです。又、東麓の平場は墓地となっていますが本来の大手筋とされ、墓地を抜けて段郭の合間を登り主郭部に至ります。この墓地の平場も城域の一部だった事でしょう。

お城は夏場になると見れたもんじゃないと思えるぐらいの藪です。冬場でも熊笹藪は消えないし、細い低木の細かな枝(痛いよ…)が写真撮影の邪魔を見事にやってのけてくれます。土橋なんか本当にひょろひょろしてて直接見ると感動出来るけど写真を撮ると周囲に擬態してしまって訳判らん…飯山市の山城全般に言える事でもありますが、縄張図とかは本当に凄いし確かに遺構もちゃんと残っているけどお山に人が入らず藪と言うよりは原始に立ち戻っている印象を強く受けます。冬場は積雪が多い地域だし、観賞に耐えうる山城の方が圧倒的に少ないのでとても悩ましく感じますわ…ただこの中小屋城はまだましな方だとは思います。

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