中曽根館(坪ノ内館)
中曽根館(坪ノ内館)([飯山城 周辺城郭])
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中曽根館(坪ノ内館)の口コミ情報
2021年12月15日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
中曽根館(坪ノ内館)は飯山城の北西約4.9km、標高約365mの緩斜面上平場に存した居館です。
行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。こんなんマップコード以外で上手く説明出来ませんわ…そして居館の正確な位置も特定されていません。山へ入る林道(詰城とされる中小屋城に通じる。)北側の平場、もしくは林道南側の平場になるとは思うんですが…林道北側の平場をそれとした場合は長野県町村誌の「中曽根古館跡之図」と相違が見られるそうで、林道南側の平場をそれとした場合は町村誌の「東南西の三方低く、凸にして平なり。」と相違が見られます。
築かれた年代は不明ですが、お住まいになられていたのは中曽根氏です。十五世紀、泉親衡の後裔を称した泉重治は尾崎八家と呼ばれる上倉氏、今清水氏、上境氏、大滝氏、中曽根氏、岩井氏(岩井信能で有名?かな。)、奈良沢氏を輩出(血縁関係の分家ではなく地縁の繋がりとも。)しましたがその内の一氏となります。慶長三年(西暦1598年)、上杉氏の会津移封では中曽根重清が同地の新宿(不詳っす。)に居を移しました。ちなみに第71、72、73代内閣総理大臣の故中曽根康弘さんとは何の関係もありません。
居館の現況はほぼ耕作放棄地です。改変も多く含んでいると思われますが、林道北側の平場は信濃のお城の神が著述するように確かに適地です。林道南側の平場は細かな段々地形(写真5、6枚目の地形です。)となっているので居館を築くには建ぺい率が著しく低くなるような…ただ古図から導き出される場所は正に此処って感じ…
何れにせよ多くの方にとってはどうでもよい事でしょう。おいらも位置が特定されていない以上どうでもよいです。とっとと詰城の方へ向かいましょう。