殿館(殿城)
殿館(殿城)([井川城 周辺城郭])
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殿館(殿城)の口コミ情報
2022年01月23日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
殿館(殿城)は井川城の西南約5.4km、標高約622mの平野部平場に存した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。居館は長野県道291号線、新田松本線沿いに立地していて駐車場所にはとても困ります。
築かれた年代、お住まいになられていた方は不明です。居館の存する和田郷は寛元四年(西暦1246年)には諏訪大社下社大祝金刺氏の一族、金刺左衛門尉が地頭職に補任されていたらしいですが、その関係性となるとやっぱり不明ですし、同じ井川城のリア攻めマップにある直近の和田古城との関係性も不明です。
当地を領していたと推測される和田氏の存在が文書によって確認されています。結城合戦の際の結城陣番帳の十七番に「赤沢殿、和田殿、同名但馬守殿、山家殿、武石殿」とあり、武石氏については知らんけど、往時の松本平における有力国人衆の一つとしてその名を連ねています。又、時代は下って天正壬午の乱の際、小笠原貞慶による日岐城攻めでは和田式部大夫なる人物が討死しているそうです。
居館の現況は耕作地、一般住宅等となっています。遺構は改変により消滅しており見るべきものはありません。信濃のお城の神本(信濃の山城と館4、松本・塩尻・筑摩編)によると、方形の居館は県道によって一部が分断されているようですが、この点に関しては現地に赴けば「なるへそ〜」等と呟けると思います。又、県道沿いには石碑が立っているので此処が居館跡だよていう目印にはなっています。
松本市内を走り廻っていると、松本平には神本に未掲載の居館跡が結構残っている事に気付きました。平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代と政変や争乱の影響を受けてそれぞれの地の領主は度々変わり、時代の振れ幅も大きく不明な点も多いですが、これはこれで楽しみが増えたて事なんでしょかね。スーパーマニア向け。
※殿の名称は地名から付いたものです。