成相氏館(内堀・御屋敷)

成相氏館(内堀・御屋敷)([中塔城  周辺城郭])

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成相氏館(内堀・御屋敷)の口コミ情報

2026年05月22日 内記かずりヾ(・ε・。)


成相氏館(内堀・御屋敷)は中塔城の北東約9.4km、標高約562mの平野部平場に立地した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されている「Cafe Cachette」を目標に設定して下さい。この飲食店とその裏手が概ねの居館地である。車は同じく位置登録がある「本村区コミュニティセンター」の駐車場に捨てるのがよい。ちなみにJR大糸線の南豊科駅から歩いて3分位の距離にある。

該地の安曇郡住吉庄成相郷は、文明八年(西暦1476年)の「諏方春秋宮両宮御造宮帳」に、「成合分 合籾廿六俵壱斗 此代五貫仁百拾文 同人(取手 大輪越前守、手執 小祝 与作)」とあるのが文書上の初見、居館地に東接する大海渡(大垣内)地籍からは平安時代前期の土師器片が出土し、在家主とその所従等の居住が推測されている事からこの頃には既に開発が行われていたようだ。地割は比較的に整い計画的な開発を窺わせるが水利に悩んだ土地でもあり、成合古堰の開削なくして同地の発展はあり得なかったとも考察されている。

築かれた年代は不明、お住まいになられていた方には成相氏が推測されている。同氏の詳細については出自等も含めて殆ど不明だ。小笠原氏による府中回復を援け、後の石川氏時代には郷士となり、慶安四年(西暦1651年)の「成相町検地帳」には庄屋としてその名が見られる事から安曇郡内における在地土豪層の一氏であった事に間違いは無いだろう。

天正七年(西暦1579年)己卯正月廿日の「下宮春宮造宮帳」には、同四御柱を負担する住吉之郷(庄)の内に、「成相分 正物四貫文 此外貳百文 手師小祝 代官 二惣右衛門尉 彦右衛門尉」とあり、武田氏時代、該地の成相には、二惣右衛門尉、彦右衛門尉があった事が判る。成相氏とは姓を異にする者であろうか。

按天正十(西暦1582年)壬午年乎、犬甘半左衛門(久知)宛、小笠原貞慶書状案によれば、成相源三が、筑摩郡会田郷内矢久城に寄せる小笠原勢に応援し戦功を稼いでいる。

按天正十一年(西暦1583年)癸未年也二月十四日、犬かい(犬甘久知)殿宛、小笠原貞慶書状案には、「…仁科の仕置相すみ候は々、其内にもはんかい(番替)こし候へく候、此よしなりあい藤兵へ(藤兵衛)いのすけ(猪之助)、其外いつれへも、委傅達肝要にて候、恐々謹言、」とあり、成相藤兵衛と同猪之助は、この時期、青柳城のリア攻めマップにある日岐城に在番していた犬甘久知の寄子同心等として同城に出張していた事が判る。

天十八(西暦1590年)十月四日、成相源蔵宛、小笠原貞政(秀政)黒印状案には、「今度爰許へ引越ニ付而、二百五十石之處出置候、軍役に少も如在有間敷者也、如件、」とあり、小笠原貞政は、成相源蔵に、引越に付き二百五十石を宛行う事を約している。小笠原氏の下総国古河への改易転封に伴う黒印状かと思われるが、源蔵が貞政に同道したのかは不明だ。

居館の現況は…田地、畑地、店舗併用住宅とその敷地等となっている。「内堀」、「御屋敷」と呼ばれる字地が居館地の中心地、土地の構造改革が行われる以前には高さ約2mの土塁が残っていたんだそう。「豊科町誌」によれば、堀は二重、外堀の内側に土塁が設けられていたらしく、大正年間(西暦1912年〜1926年)まで、北辺の外堀の一部が残り、此処では水泳が出来たとも云われている。居館地は成相堰の流上にあり、居館の主が用水を差配した事は想像に難くないが、同堰は梓川の流末にあり取水難であった事から堀はどぶ状の用水溜池の役割を果たしていたとも考察されている。

居館地の南方約0.6kmの位置を東西に流れているのが拾ヶ堰(じっかせき)だ。梓川沿いの扇状地は地下に水が染み込み易い乏水地域であり、これを解消すべく十ヶ村を灌漑するために開削された組合堰である。

文化十三年(西暦1816年)二月十一日に着工し、竣工はその年の五月十一日、早くも七月三日には通水が始まった。総延長約15kmに及ぶ横堰の取水口から終点までの標高差は僅かに約5m、水がゆっくりと流れる押水の用水は地域の水田化に大きく貢献する。計画は各庄屋等の差配と地域村民の労力によって報われ、原始的ながらも高い測量技術に裏打ちされた一つの結晶でもある。

拾ヶ堰は、疏水百選、国際かんがい排水委員会…の指定する灌漑施設遺産にも選ばれている。「拾ヶ堰じてんしゃひろば」の桜並木と芝桜は時期ともなれば密かな観光スポット、リア攻めで疲れた身体をおにぎりでも食べながらゆっくりと癒す事にしよう。

※拾ヶ堰〜近代に入ると長野県全体の人口推移は停滞したが安曇野では同堰の成果によって増加している。現在でも堰は用水として地域を広範に灌漑しておりその恩恵の程は測り知れない。知恵は独り占めに出来ないもんだなぁ…

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