八間長者城(八間欠城・八間城)
八間長者城(八間欠城・八間城)([埴原城 周辺城郭])
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八間長者城(八間欠城・八間城)の口コミ情報
2024年04月01日 よっこいしょーいち
八間長者城は波多氏(波多腰氏)が築いたと云われています。
しかし波多氏については史料が少なく出自等はよく分かっておりません。一説には古代氏族の巨勢氏(こせし)の流れが松本市波田(旧 波田町)に移り住み、波田の巨勢から波多腰を名乗った、という説もあるらしい。
松本市波田と八間長者城がある松本市内田は松本平を挟んで反対側となる位置となり、どのように領地を所有していたか不明ですが、波田には勅旨牧である大野牧があったといわれ、また、松本市内田の北側にも勅旨牧の埴原牧があったので朝廷に納める軍馬の生産に携わっていたのだろうと考えられます。麓の大宮八幡宮には波多腰氏の名が書かれた棟札があり、付近に波多腰の館があったとされる。
宮坂先生の縄張図を見ると主郭が異様に小さいことが見て取れますが、国土地理院の傾斜量図で確認すると主郭の南側に崩落地形が確認でき、これは恐らく地滑りにより主郭の大部分が崩落したと思われます。
この城にまつわる伝承として、室町時代にこの城の水の手として作られた塩ノ池が大雨と地震により決壊し山津波(土砂崩れ)が起きた、という話があり、この土砂崩れの後に湧いた冷泉が八間長者城のすぐ隣にある崖ノ湯温泉の始まりらしい。
城の搦め手(城域の奥の奥)にはその塩ノ池と思われる土手が残っています。