小屋城(村井城)

小屋城(村井城)([埴原城  周辺城郭])

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小屋城(村井城)の口コミ情報

2022年04月07日 内記かずりヾ(・ε・。)


小屋城(村井城)は埴原城の西南約5.6km、奈良井川東岸(右岸)、標高約625mの平野部平場に城域が存します。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。ピンの位置は概ねで城域の中心地、説明板の立つ場所となっています。

築城年代は不明、築城者は村井氏です。村井氏は信濃国府を中心とした地に勢力を保った古代から続く犬甘氏の一族とされています。寛正三年(西暦1462年)、諏訪上社の御符礼之古書から埴原、中内田の領主は波多判官太夫跡の波多政盛から村井伴政知に交替した事が確認出来るので、この頃より平野部の小屋城に居し、詰城として埴原城を築いたものと推測されます。

天文十七年(西暦1548年)七月、塩尻峠の戦いで勝利した武田氏は同年十月、小笠原氏の本城、林城の直近である小屋城に鍬立て、大幅な拡張と改修を行い府中攻めにおける本拠としました。従って小屋城には村井氏の居館城時代、武田氏の拠点城時代の二期が存在します。

お城の現況は駅近の市街地、遺構は何も残っていないとされていますが、広大な城域内には僅かながらの土塁と堀形を見る事が出来ます。又、城域の東辺と西辺の水路は武田氏時代の堀跡を想起させる他、一般住宅の敷地内には土塁にしか見えない土盛りなんかも見る事も出来るでしょう。

「人は城、人は石垣、人は堀…」、武田信玄が語ったとされる言葉(出典は何処なんでしょか?事実なのかな。)ですが、人材を貴とする信玄の考えを言葉で表したもので決して城の存在を軽視したものではありません。信玄は討ち入った土地に大勢力を背景に平城を築いて外地における拠点とし、在地勢力の施政権と行政権を否定する。これらが山地にいかな堅城を築いて籠ろうにも既に詰んでいる訳で、後に待ち受けているのは調略だ。そしてそれと同時に在地勢力に担保を与える。信玄の信濃政略は苛烈だったとされるけど、初期の佐久攻めが過大評価されているに過ぎないとさえ思っている。信濃の土豪や国人領主にとって一時的だったとはいえ武田氏は頼りにするのに充分な存在でした。そして小田原攻めにおける石垣山城と府中攻めにおける小屋城の存在価値は同一のものだったと考えます。

※リア攻めマップには既に小屋城がスポット登録されていましたが位置は完全な間違い…改めて別にスポットを作成しました。

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