埴原牧跡(千石繁飼場跡)

埴原牧跡(千石繁飼場跡)([埴原城  寺社・史跡])

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埴原牧跡(千石繁飼場跡)の口コミ情報

2022年01月27日 内記かずりヾ(・ε・。)


埴原牧跡(千石繋飼場跡)は埴原城の南西約1.7km、標高約867mの緩斜面上平場に存した牧です。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車はそこら辺に捨てても問題無いと思います。てかそんなに時間取りません…

「牧」って書きましたが、読んで字の如く馬を生産する牧場の事です。一般的な牧場と違う点は律令制下における左右馬寮の管轄下に設けられた官制の牧場であった事で、「勅旨牧」、「御牧」と呼ばれます。これらの牧は東国に置かれ、即ち、武蔵国4箇所、上野国9箇所、甲斐国3箇所、信濃国16箇所が整備されました。

信濃国は他の追従を許さない数ですが、馬の生産に適した土地柄(広大な放牧地、牧草地、水源が必要である。)だったのでしょう。「延喜式」には大室牧、高井牧、笠原牧、平井手牧、宮処牧、新張(新治)牧、塩原牧、岡屋牧、山鹿牧、望月牧、長倉牧、塩野牧、埴原牧、大野牧、猪鹿牧、萩倉牧が記録されていて、これらで信濃十六牧を構成していました。又、毎年4月に都に献上する貢馬は信濃国全体で80疋と指定されていました。

埴原牧は信濃国の牧監(もくげん、各令制国の牧を統轄するための官職、国司の次官に相当する。)が置かれたと推測されています。付近からは牧監庁の物と思しき礎石が検出されており、当地には古屋敷、千石の地籍が残ります。

勅旨牧は十世紀を境に衰微します。文治二年(西暦1186年)には信濃の勅旨牧は28牧を数えますが、その中に埴原牧の名は見られません。但し、筑摩郡の牧に数えられる南内牧、北内牧が埴原牧の発展したものと考えられています。信濃の勅旨牧は左馬寮の荘園化が進み、これと平行して各国の牧監や別当は在地で力を蓄え武士団として発展する者も現れました。即ち、信濃では望月牧(信濃十六牧の筆頭であった。)の望月氏、大野牧、南内牧、北内牧では波多氏等を輩出しました。

信濃の武家氏族の歴史を調べているとこの勅旨牧の存在がバックグラウンドとして浮かび上がって来る事が度々あります。西国には当然見る事が出来ない武士団の形成、発展のあり方は地方史の重要な一節である事は間違いありません。飛躍かもしれませんが、埴原城築城の間接的なバックグラウンドとして考える事も可能ですね。

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