赤木北城
赤木北城([埴原城 周辺城郭])
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赤木北城の口コミ情報
2022年02月07日 内記かずりヾ(・ε・。)
赤木北城は埴原城の西南約4.8km、田川の東岸(右岸)、赤木丘陵の西端、標高719.2mの赤木山(山てよりは丘陵頂部です。)北端崖地、標高約669mの緩斜面上平場に主郭が存します。西麓の長野県道288号線、新茶屋塩尻線からの比高は25m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車で直近まで行けます。
築城年代、築城者は不明ですが、赤木氏に関係する城館と推測されています。赤木氏については同じ埴原城のリア攻めマップにある赤木氏館を参照して下さい。
お城は完全単郭方形の縄張ですが、北側崖地を除くコの字形の空堀がよく残っています。主郭までは幅広の土橋で周囲と連絡していますが、この土橋自体は後世の改変でしょう。主郭は熊笹藪、蔦植物が蔓延っていて冬場でも気持ち悪い…この主郭は過去に重機が暴れまくったらしく、東辺、南辺は城域外周囲よりも一段低くなっていて違和感しか感じないのでかなり削られているのかな。主郭には空堀に沿って土塁が設けられていたと思いますが、それでも堀外の高所なんて籠る側からしたら障りでしかないでしょう。又、縄張図には含まれませんが、西側の桃水寺跡(お城の説明板が立つ。)を城域と考える事も出来るでしょう。
周辺には同じ埴原城のリア攻めマップにある赤木氏館、赤木南城、横山城が存します。承久の乱の後、備中に本拠を移した赤木氏ですが、本貫地であった赤木郷にも所領を保っていた事が嘉元三年(西暦1305年)の関東下知状で確認出来ます。赤木郷には引き続き一族、代官の何れが置かれたと思いますのでそれに関係するものなんでしょか。又、天正壬午の乱の後には小笠原氏の要害として赤木南城と共に利用があったと推測しても無理は無いと思います。
写真を撮るのが難しいお城です。諦め切れずに冬場なら何とかなるかなと考えての再訪でしたが、やっぱりね…今回を最後に赤木北城から引退したいと思います。
2021年03月29日 国府左京大夫城介
赤木氏の居館跡。
【歴史】
赤木氏の居館跡と伝わるが、築城年代等、詳細は一切不明。
【遺構】
北洞下堤南側にある比高20mの台地上に築かれている単郭の中世居館跡。
主郭を囲むように空堀、土橋や土塁は明瞭に残っている。
【感想】
畑の端っこにポツンと存在しており、主郭内には廃アパートがあり、夜に訪れたくはない雰囲気のお城跡です。
主郭の一部は藪で覆われているが、それほど深くないので簡単に突破できます。この城の周囲を囲う空堀は、よく往時の姿を残しており、特に西側の空堀は北側へ落ちていくように掘られている。また、東側の空堀側は台地の方が高くなっているのが特徴です。しかし、あまり保存状態は良くなく、空堀には粗大ごみが捨てられているのが残念である。
【アクセス】
篠ノ井線・村井駅から徒歩で40分程。
【写真】
1:南西にある土橋
2:西側の空堀
3:南側の空堀
4:東側の空堀
5:主郭内
6:説明板(赤木北城の西側にある桃水寺内にあります)