蔵光館

蔵光館([加地城  周辺城郭])

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蔵光館の口コミ情報

2026年07月18日 征夷大将軍阿賀北の全長


築城年等詳細は不明。
現在、館跡の敷地にある香伝寺の古文書によると佐々木加地氏8代当主加地資秀の代に越後国に入部した事から、鎌倉時代後期から室町時代初期頃に築かれたと推定されています。
加地氏の惣領の居城は「加地城」とされてるので、蔵光館は一族が利用したと思われますが、詳細は不明。

現在は香伝寺の境内となり、一辺約100m四方の曲輪で土塁が巡っている。南の門には枡形状の土塁も確認できるが、『新潟県中世城館跡等分布調査報告書』の図面には描かれておらず、後世のものかもしれない。
香伝寺は加地氏の菩提寺で加地春綱、景綱の位牌が安置されている。

名門、佐々木源氏の加地氏は南北朝の動乱の際、一族同士が南朝方と北朝方に分かれ相争った為、大きく力が削がれ、惣領制は崩壊、多くの一族が土豪レベルとなって分散されて、戦国時代に入ると一族は加地氏系と新発田氏系の2系統に集約し国人領主と呼ばれるレベルまでに回復しています。
その後は上杉謙信に従い、加地春綱は謙信の姉を奥方に迎える等信任を得て七手組大将や上杉二十五将の加1人に数えられました。
この頃が絶頂期で……
この後の選択を誤り、没落していきます。
御館の乱では景虎方に、新発田重家の乱では同族のよしみか?重家に加担し上杉景勝方に加地城を攻められ落城、加地秀綱もこの戦いで討死し、没落。
加地城の落城と共に「蔵光館」も廃城となったとおもわれます。

2021年05月10日 国府中納言城介


揚北衆佐々木党・加地氏の居館

【歴史】
築城年代は不明だが、加地資秀の頃に越後に土着したことから、鎌倉後期から室町初期の頃か。
加地秀綱が新発田重家の乱に加担し、敗北した頃に廃城になったと思われる。

【遺構】
加地城の南東2.1kmに位置し、現在は香傳寺となっている。典型的な中世の方形居館で、100m四方の土塁に囲まれている。土塁は一部湮滅しているが、南側を中心に良く残っている。また、南側に枡形状の土塁もあるが、高さがあまりなく後世のものか。南門側に池に囲まれた社があるが、この池がかつての堀の跡か。
香傳寺は加地氏の菩提寺で加地春綱、景綱の位牌が安置されている。

【感想】
地方領主の方形居館であり、その領主が没落した後に、お寺が建立される形で遺構の一部が残っている。平時はここで政を行い、戦時になると詰城の加地城に立て籠もるという運用がされている。そのため、この館の土塁は、あまり高くなく防御力はないに等しい。

【アクセス】
新発田駅から自転車で約40分。

【写真】
1:香傳寺看板
2:南側の土塁
3:加治(地)氏菩提寺の石柱
4:香傳寺境内
5:堀跡?
6:南門の枡形状の土塁
7:加治氏館跡の標柱(香傳寺からやや南に離れた所にあります)

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