五泉城

五泉城([護摩堂城  周辺城郭])

護摩堂城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「五泉城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

五泉城の口コミ情報

2025年07月06日 国府左京大夫城介


新発田重家の乱に対応するため、甘糟景継が在城した城

【歴史】
永徳2年(1382)に、越後守護の上杉氏の家臣・五泉数馬により築城されたと伝わる。
その後は、銭駿河守、天野東山、中野玄正、矢代豊後守が在城していた。
天正11年(1583)に、甘糟景継が、上杉景勝の命により、反乱を起こしていた新発田重家に備えるため、護摩堂城から五泉城に配置された。新発田重家の反乱が鎮圧された後も、引き続き五泉城城主を務めていたが、文禄2年(1593)に庄内の亀ヶ崎城へ移った。
慶長3年(1598)に上杉景勝が会津に移封されると、五泉の地は村上城に入った村上頼勝の領土となった。
いつ廃城となったかは分からないが、慶長20年(1615)の一国一城令までには廃城となったと推測される。

【遺構】
遺構は消滅しており、地名等に僅かにその面影を残す。
五泉八幡宮辺りが本丸に位置し、本丸の外側に二の丸、三の丸があり、いずれも堀が巡らされていたという。

【感想】
上杉二十五将の一人である甘糟景継(清長)の居城ですが、特に遺構は残っていません。

新発田重家の乱において、甘糟景継がこの城に入城したということは、新発田重家を支援する蘆名氏の牽制と対応を担っていたようです。阿賀野川を上っていくと、蘆名氏の重臣である金上盛備が城主の津川城があり、その連携を絶つためには、護摩堂城より五泉城の方が適していたのだと思います。乱の平定後も引き続き五泉城におり、蘆名氏対策というか会津方面への対応を担う役目だったのかと思われます。

城の跡地にある五泉八幡宮は、機神を祀る服部社があるため、7月(R7.6.30~7.21)になると新潟県内では最大級の「七夕風鈴祭☆天の川巡り」が行われ、多くの風鈴やカラフルな傘が飾られています。

【アクセス】
①五泉駅から徒歩15分。
②五泉駅からふれあいバス(北五泉駅先回り(循環))に乗車し、本町四丁目で降車し、徒歩1分。

【写真】
①五泉八幡宮の鳥居
②五泉八幡宮の境内
③標柱と説明板
④境内に飾られた風鈴やカラフルな傘

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore