与板陣屋(井伊家)

与板陣屋(井伊家)([与板城  周辺城郭])

与板城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「与板陣屋(井伊家)」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

与板陣屋(井伊家)の口コミ情報

2023年09月07日 RED副将軍


牧野氏、井伊氏が藩主であった与板藩の陣屋跡🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1634年に牧野康成により築城。
牧野康成は、長岡藩初代藩主である牧野忠成の次男であり、一万石を分地されて与板藩を興した際に与板陣屋を構えました。
1702年、牧野康重は信濃国小諸に転封となり、その後は天領となりました。
1705年、井伊直矩が遠江国掛川から二万石で入封。
1804年、井伊直朗が若年寄となったことにより城主格となり、小規模な城郭を築城しました。
1868年の戊辰戦争の際には、藩主の井伊直安は宗家の彦根藩にならって新政府軍に付きました。奥羽越列藩同盟軍は与板へ進撃し、与板藩と同盟軍との間で激戦が展開。与板陣屋は焼失し、大手門と切手門は焼失は免れました。

見所
現在は、与板ふれあい交流センターや宅地となり遺構は消失。与板陣屋の冠木門がふれあいセンターに復元されています。
西本願寺別院に大手門、恩行寺に切手門が移築され現存しています。

2020年11月17日 国府左京大夫城介


直勝系井伊家が幕末まで治めた与板藩の城

【歴史】
与板藩は、牧野家(1634~1702)と井伊家(1706~1873)が治めていた。
牧野家時代の与板陣屋は現在の長岡市与板支所あたりにあったが、牧野家が小諸藩に移封された際に廃城となった。
宝永3年(1706)に、直勝系井伊家である井伊直矩(本家からの養嗣子)が掛川藩から入封してきたが、無城大名に降格し、更に江戸定府のため、実際には与板の地には入っていない。その後、井伊直朗の代に城主格となったため、与板陣屋(与板城)を築き、文政6年(1823)に完成した。戊辰戦争では、宗家の彦根藩と同様に維新政府に組しため、幕府軍の攻撃を受けた際に、維新政府軍によって火を放たれ、大手門と切手門以外は全て焼失した。

【遺構】
現在の与板ふれあい交流センターのあたりに築かれていたが、戊辰戦争時に大手門と切手門以外はすべて焼失している。遺構は住宅街等になるなどして消滅しており、地名に名残を留めるのみである。
与板ふれあい交流センターには、復元された与板陣屋の冠木門と、与板藩城館跡の石碑がある。
戊辰戦争で焼失を免れた大手門は本願寺新潟別院に、切手門は恩行寺にそれぞれ移築されている。

【感想】
遺構は全く残っていないが、復元された冠木門は立派なので一見の価値はあります。
また、焼失を免れた大手門・切手門は、当時の面影を残す貴重な建築物です。
与板城、本与板城をリア攻めした後、時間があれば訪れてみてください。

【アクセス】
〇与板ふれあい交流センター
 長岡駅からバス(越後交通・与板線)で北新町で下車し、徒歩2分。
〇大手門
 与板歴史民俗資料館の側にある本願寺新潟別院の敷地内に所在。与板仲町若しくは南新町バス停から、徒歩3分。
〇切手門
 恩行寺に所在。北新町バス停から、徒歩2分。

【写真】
1:復元された冠木門
2:「与板城址」石碑
3:移築された大手門
4:移築された切手門

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore