小千谷陣屋
小千谷陣屋([稗生城 周辺城郭])
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小千谷陣屋の口コミ情報
2026年10月02日 東堤北星
小千谷陣屋は、善光寺街道に面して構えられた陣屋です。
この地は、もともと高田藩の領地でした。天和元年(1681)、当時の高田藩主であった松平光長が越後騒動により改易となり、当地は江戸幕府の直轄領となりました。その後、享保9年(1724)に会津藩の預所となり、陣屋として本格的に整備されました。魚沼郡における会津藩預所の支配拠点として代官が常駐し、年貢の徴収や訴訟の裁決などを行っていました。その管轄は小千谷・十日町・六日町・浦佐・小出島・堀之内の6組に及び、広範囲を統轄する重要な施設でした。
慶応4年(1868)の戊辰戦争(北越戦争)では、会津藩兵約250人と旧幕府軍兵士約200人が入り、新政府軍と対峙しました。新政府軍は、小出島方面と雪峠方面の2方向から侵攻しました。当初は小千谷陣屋で迎え撃つ方針でしたが、周辺住民の懇願を受け、郡奉行の町野重安は小千谷付近での野戦を選択しました。これにより、小出島の戦いと雪峠の戦いが繰り広げられました。
雪峠の戦いでは、当初、地形的に有利な会津軍が優勢でしたが、次第に新政府軍の兵力に圧倒され、小千谷陣屋へ撤退しました。しかし、主力部隊は小出島方面に出払っていたため、陣屋を守りきることができず、片貝方面へ撤退しました。これにより小千谷陣屋も焼失しました。
戊辰戦争後も、陣屋跡には明治元年(1868)に小千谷民政局、明治2年(1869)に柏崎県小千谷出張所、明治12年(1879)に北魚沼郡役所が設置されるなど、小千谷地域の政治の中心地として機能しました。その後も、さまざまな役所や学校に利用されました。
現在は、介護老人保健施設「雪あかり」となっています(旧称は「水仙の家」。更新されていないウェブサイトでは、旧称のまま掲載されていることがあります)。
周辺の開発が進んだことから、当時の遺構は失われたと考えられます。現在、施設の前には石碑が建てられています。









