浦佐城
浦佐城([下倉山城 周辺城郭])
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浦佐城の口コミ情報
2022年04月25日 ️_
浦佐駅の裏さある噂の城です😚噂かどうか知らんけど🤣で、実城の裏さある二重堀切凹凹が見事です😳😳
二重堀切凹凹以外にも堀切凹&空堀凹がありますが、やっぱり二重堀切凹凹を愛でて🥰、二重堀切凹凹に圧倒されて🫣、二重堀切凹凹を何往復かして🚶♂️、これでもかと言うぐらい二重堀切凹凹の写真を撮って📷ほしいです😌残雪の越後三山🏔と二重堀切凹凹との共演は毎年見たくなりますよ🥰
〜以下、解説板より〜
南魚沼市指定文化財
浦佐城跡(浦沢城址)
昭和56年3月30日指定
浦佐城跡は薬師山(標高約300メートル)に築かれた中世の山城跡で、山麓を通る三国街道を抑え、魚野川の舟運を監視する要地に所在する。
天正6年 (1578年)に上杉謙信が急死すると、2人の養子、上杉景勝 (坂戸城 主長尾政景の子で、謙信の甥)と上杉景虎 (小田原北条氏康の子)が後継者の座を争い、越後国を二分する戦乱(御館の乱)が勃発した。
同年9月、北条軍が景虎に加勢するため関東から侵攻し、浦佐城を含む南魚沼の諸城を攻撃した。
翌年、雪消え近い2月、景勝は北条軍の再攻撃に備え、清水藤左衛門に浦佐城の守備を固めるように命じている。
薬師山の尾根は東に細長く延び、両側は深い谷となって急崖をなしている。
山上は大きく三段に削平され、四つの郭が築かれている。
下段に位置する第四郭は、丘陵先端部直下の南側山麓にあり、8メートル下には幅1メートルほどの溝が帯状に巡っている。
中段の第三郭は第四郭の直上、尾根の先端部にあり、北側は細長く小高い丘状を呈する。
上段の第一郭と第二郭は、第三郭の背後に13メートルの比高差をもって連続する。
第一郭は長さ90メートル、幅18メートルの最大の郭で、第二郭との間 は幅10メートル、深6メートルの堀切によって断ち切られている。
第一郭から20メートル下の南側山腹には、この堀切と第四郷を結ぶ幅六メートルの帯郭が設けられている。
第二郭の背後(西側)は幅20 メートル、深さ10メートルの大きな二重の堀切によって尾根が断ち切られており、背後の防御を非常に堅固なものにしている。
山上の城郭は全長260メートルに及ぶ。
平成21年3月