焼山城
焼山城([箕冠城 周辺城郭])
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焼山城の口コミ情報
2024年07月14日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、今回の口コミは信濃を離れて越後の山城、焼山城っす。訪城理由は、お近くの箕冠城を訪ねた帰り道でGMYSGしてたらヒットしたから。おいら基本的に越後のお城とか全然知らないのさ。あ、GMYSG…「Googleマップで山城してGO♪」の事っす。
焼山城は大熊川東岸(右岸)、別所川西岸(左岸)、両川に挟まれた山塊を構成する一つ、標高243mの山頂ピークを中心に立地する居館城です。北麓の長野・新潟県道95号、上越飯山線からの比高は140m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。登城路入口まで車で横付け出来る。車の捨て場所は路駐でOK♪レベル、探索する気が無ければ10分以内でリア攻めを切り上げる事も可能だ。
築城年代、築城者は不明です。城主としては宮島若狭守吉房、宮島与八郎吉則の名が伝わる。はっきり言って越後の地方史については浅学なんで全く知らないんだけど、宮島氏は上杉景勝のバックボーン、越後国内において悪名高き上田衆を構成する一氏だったらしい。景勝の家督相続後には、同衆の者等が越後の各地に配されており、若狭守吉房もそうした宮島氏の一人だと言えそうだ。同名については、文禄三年(西暦1594年)九月、上杉氏の「定納員数目録」を調べれば容易に判る筈なんだけど、そこまで手を広げるとおいらがパンクしてしまうんで止めておこう。
特定非営利活動法人、「板倉まちづくり振興会」のホームページで焼山城を調べてたら、信濃国水内郡温井に至る関田峠道を扼す道押さえのための城館だと推測されていた。同道の事は既知だったけど、越後口が此処にあったとは知らなんだ。関田峠道は、現在の上越市板倉区から飯山市温井へ抜ける道筋で、現在は前述の、長野・新潟県道95号、上越飯山線がこれに準じ、県道は今も関田峠を越える。甲越が争った時期には川中島に至る長尾勢が関田山脈を越えるために利用したて話なんだけど、むしろ道筋は、春日山から関田峠を越えて飯山盆地へ抜けて志久見口に入り、谷筋を進んで妻有を経て魚沼に至る主要道として整備が進められたんじゃないかなて個人的には考えている(平沢城のリア攻めマップにある上境城や温井城はこれを扼する占地だと思う。ちなみに上境城は必見だ。)。
お城は大変難しい。居館城だったと推測するが、一帯は山塊がなだらかな丘陵地様地形を形成している部分であり、城館が占地していたとは俄かに信じ難いものがある。主郭には説明板が立っており、簡易な縄張図も添付されているが、現況がファジー過ぎて現地でこれを組み立てる作業は困難である。正直、城域すら判定出来ず、お城の向きさえ判り難い。又、南西方に位置する「じゅんさい池」の説明板には、泥田堀が周囲に巡らされていたとも書かれるが、これに関してもどうなんだろう。後世、周辺はかなりの高所まで水田として開発されており、水源となる溜池が所々で散見される。単純に往時の泥田堀と言い切る事も出来ないだろう。ちなみに頑張って探索した結果、竪土塁様地形を探し出したが何とも言えない。
関田峠道を長尾勢が利用したとすれば、弘治三年(西暦1557年)、野沢之湯に拠る市河氏を圧迫した際の事であろう。又、同道に騒々しい時期があったとすれば、天正六年(西暦1578年)の「御館の乱」の際ではないだろうか。当時、春日山にあった上杉景勝は本貫地である魚沼郡との連絡が必要だったろうし、道中の妻有に拠る小森澤刑部大輔政秀(景虎方の飯山城を独断で攻め落としている。)等は景勝の強力な支持基盤の一つだった。
※関田峠道〜関田山脈中、標高約1117mの関田峠を越えるが当然の豪雪地帯であり、現在でも長野・新潟県道95号、上越飯山線は十一月から翌年五月まで冬季閉鎖される。同道は近世に入ると主に商用道としての往来が頻繁だった。ちなみに同峠は、関田山脈を南北に縦走する総延長110kmの信越トレイルの通過点でもある。歩かないとあなた明日死にますて言われない限り挑戦しない。
※「じゅんさい池」〜新潟県新潟市の心霊スポットとは別物なんで安心してつかぁさい。
2024年04月21日 まるさん伊豆守小町時間割
焼山城本丸、小さな石柱が立てられています。
周辺はヤツデ(かな?)がそれなりに多いので晩秋の紅葉時期に来たらかなり印象が変わると思いました。
また、来訪は二度目でしたが以前訪れた際は登城口からここまでの間にかなりの数の蜘蛛の巣がありました。
快適に訪れたいなら春先(多分ですが幟などを設置する際に蜘蛛の巣がなくなったと思えるので)がいいようにも思いました。