鎌倉井戸
鎌倉井戸([淵野辺城 寺社・史跡])
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鎌倉井戸の口コミ情報
2021年01月17日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
町田市指定史跡 (通称)鎌倉井戸
鎌倉時代に掘られたものと言われ、新田義貞が鎌倉攻めの軍を進める途中、ここに井戸を掘り、この水を軍馬に与えたと語り伝えられている。
井戸の深さは約4メートルあり、表土の部分は永い年月の間に崩れ落ちているが、地表から約1.5メートル下のローム層の部分には、下方に直径約70センチメートル程の円筒形の井戸が原型のまま保存されているとの事で、町田市の七国山(ななくにやま・七つの国を見渡せる山という意味らしいの頂上付のここが鎌倉街道(上道)であったことを示す、石碑が有り、その近くに井戸跡が有ります!
鎌倉街道上道、その名の通り、歩いていると昔にタイムスリップしてしまいそうな場所で1333年、ここには何万人という人々が、鎌倉攻めの緊張感の中、井戸端で人や馬が一時の休息をとっていた事、その後も戦国時代には武田、上杉、北条の軍勢が、江戸時代〜幕末には新撰組の隊士が、色々な人、牛馬がこの井戸の横を通ったのかなと考えが尽きない、そんな場所でした!
(案内板より)
また、この鎌倉街道上道は「いざ鎌倉」の言葉通り有事の際に鎌倉幕府の御家人が鎌倉へ馳せ参じた道であり、高崎市の高崎城下〜雉岡城下〜用土城下〜菅谷館〜川越城下〜久米川古戦場〜国分寺〜高安城下(分倍河原古戦場)〜関戸城下〜小野路城下〜七国山(鎌倉井戸)〜伝井出沢城下(井出の沢古戦場)〜深見城下〜村岡城下〜化粧坂切り通し〜鎌倉鶴岡八幡宮と繋がる軍事的な役目を担っていた道だったみたいで、鎌倉街道上道が通る場所では様々な合戦が繰り広げられて来ました!