下田館
下田館([日戸館 周辺城郭])
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下田館の口コミ情報
2022年05月02日 原右大臣昌碩
東の北上川、北の松川の氾濫平野の南西にある比高30mの段丘が、その南西面を流れる生出川で陣場平という台地から切り離された所に位置している。唯一台地と接続していた北部は、今は道路となっている空堀で切り離されている。東の麓には集落と喜雲寺がある。 館と集落の北に古い河道を利用したと見られる幅最大30mほどの堀があった様だが、今は、田、宅地、喜雲寺の駐車場となっていて、名残と見られる水路が流れている。
館は不整形の南北二郭からなり、北廓は東西100m、南北50mで今は稲荷神社と畑がある。南辺に土塁の痕跡が見られる。
通路と墓地、観音堂がある底幅8mの空堀で隔てた南郭は東西100m、南北200mで、墓地と駐車場となっている北端と、それに続く農地の中央部がその他と比べ一段高くなっていて、馬場跡と思われるとのことである。
現在、館跡は喜雲寺が所有している事を攻城中偶然お会いした以前の所有者から伺った。墓園の部分は嘗て畑であったが、多少の起伏はあったものの、下記参考資料の記述同様、土塁など明らかな構造物は同区域にはなかったとのことでした。
豊臣秀吉の命で南部氏が天正20年に破却した(一部は温存された)城館の目録である南部大膳大夫分国之内諸城破却共書上に列挙された48城館の中で破却された36城の一つ。
岩手、紫波両郡の北上川東岸に広がった河(川)村党の一人、下田弥三郎秀祐の居城。秀祐以外には内記秀邑、清之丞秀勝が知られている。
北東には松川の北上川合流部左岸の矢城館、北には松川右岸の松内館、南には生出川河口南のふん館(下田八幡館)を出城として配置していた。
(参考:岩手県中世城館跡分布調査報告書)